Kの思索(付録と補遺)

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Fate/stay night 劇場版HF解説 〇〇をやらずに100%は楽しめない!〜Kの思索(付録と補遺)vol.4〜

 

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目次

・何も教えない、いいから映した画を観ろ!

FGOしか知らないファンはキャラを愛でて終わる

・HFの最重要伏線

・まだFate/zeroは見るな!

・HF話進んでなくね?

「正義の味方」の本質

・100%楽しむために〇〇をやろう

 

 

 

  やってくれた。二つの意味でそう思った。

  まずは映画としての完成度。やってくれた。本当に素晴らしかった。これこそまさにHFだと思った。

  だがこの映画の問題は2つ目の「やってくれた」にある。

 

・何も教えない、いいから映した画を観ろ!

  友達と一緒にこの映画を観に行こうとしていた。友達はFGOはおろか、Fateシリーズに何も触れたことがなかったが、後述するように、一応は原点作品の一つのルートということで、初見でも大丈夫だろうと思って誘ったのだった。

  日曜のレイトショーで友達と観に行く予定だったが、生粋のFateファンである僕はどうしても待ちきれず、土曜に、先んじて一人で観に行ってしまったのだった。

  蓋を開けてみたら、これは初見には厳しいと思うくらい、徹底的に説明が排除されていたのだった。何も教えない、いいから映した画を見ろと言わんばかりだ。

  例えばセイバーと出会うところまでを早回ししてしまうため、聖杯戦争の概念は勿論、マスター、サーヴァント、令呪諸々の設定すら説明されない。

  勿論、フワッと「こういう設定なんだろうなー」と捉えることは出来るかもしれないが、設定だけではなく物語の展開にも大量の伏線、謎があるため、予備知識のない人はついていけなくなること必至である。

  結果、友達の1800円の映画代を無駄にするわけにはいかないと思い、一緒に観に行くことを止めたのだった……。

 

FGOしか知らないファンはキャラを愛でて終わる

  この映画を予備知識無しに見ることが厳しいことは説明した。ある意味FGOからの新規ファンを捨てる、もしくは「FGOから熱狂的Fateファンになり予習は完璧です」という人以外は狙っていないかのような姿勢を貫き、余計な説明を排して「映画作り」に専念したそのやり方は恐るべきものがある。そのため、まずHFの基礎知識を解説することにしよう。

  HFは、原作ゲームFate/stay nightの、最終ルートである。

  ○一つ目のルート→セイバールート(Fate)

  ○二つ目のルート→凛ルート(UBW)

  ○最終ルート→桜ルート(HF)

  要は攻略ヒロインがセイバー、凛、桜と三人おり、HFは桜を「落とす」ルートということになる。

  しかしこのルートは最後の章だけあって、他のルートとは雰囲気がかなり異なっており、かつストーリーも長大である。

  それは、Fate/stay nightを完結させるためにあらゆるテーマと伏線を回収しなければならなかったことによる。

  聖杯戦争とは何か?士郎の目指す正義の味方とは何か?桜の背負う業とは?等々…それら諸々を、原作ゲームでは長大な文章で叩きつけている。

  対して今回の映画は、これらの説明の一切を省いている。映像表現に徹する。この姿勢は、映画作りの姿勢としては認められるべきものである。FGOしか知らない人は、キャラを愛でるうちに終わってしまうだろう(しかしそれも一つの正義か)。

 

・HFの最重要伏線

  以上により、まずこの省かれた部分を詳しく説明しなければならない。最初に、大元の大元、何で彼らが戦い合うのか…聖杯戦争とは何かである

  聖杯とは、あらゆる願いを叶えると言われる万能の願望機である。7人の選ばれしマスターが、サーヴァントと呼ばれる過去の「英雄」を召喚し、戦い合わせることにより、最後に残った勝者だけが聖杯を手にし、願いを叶えることができる。これを聖杯戦争と呼ぶ。

 聖杯戦争に参加するマスターの手には「令呪」と呼ばれる刻印が浮かび上がる。これは、聖杯戦争中に3回だけ行使することのできるサーヴァントへの絶対命令権である。

 また令呪自体が膨大な魔力の塊のため、これを使って奇跡に近い事を実行することもできる。元々は、マスターがサーヴァントに殺されないように聖杯戦争のシステムとして組み込んだものである(・・・実はこれも建前であり、本当の使い道はHFで明かされる)。

  アインツベルン、間桐、遠坂の魔術師の家系は、代々この聖杯戦争で争ってきた。彼らが聖杯に願うことは同じであり、「根源の渦」※への到達である

  「根源の渦」とは、アカシックレコードのようなものだ。そこには、過去から未来のこと、万物の法則、その全てが記されているという。

  魔術師はみな、いつかそれを知るために血を継いできた。そのためだけに生きてきた人種だと言える。言い換えると、魔術師は根源の渦という魅力に囚われている。根源の渦に至るためなら、どんな残酷な手段でも使うだろう。

  しかし、士郎の見る夢からも分かる通り、何やら聖杯は禍々しい姿をしている。およそ神聖なものには見えない。ここに聖杯戦争のカラクリがある。これがHFで最重要となる伏線である。

 ※根源の渦の何たるかは「空の境界 中」に詳しく書かれている。ここでは、聖杯を使わずに根源の渦へ到達する方法をあみ出した天才魔術師がラスボスとして登場する。

 

・まだFate/zeroは見るな!

  聖杯戦争では、過去、アインツベルン、遠坂、間桐が争ってきたことを説明した。

  今回の聖杯戦争でもその三人が集っている。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、遠坂凛間桐桜である。

  この3者の関係が如何に残酷で運命的なものであるかも、HFで回収される重要な伏線である。

  実はFate/zeroを見ている方は既にこの部分は知ってしまっている。だがまだ見ていない方は、まずHF3部作を見てからzeroを見るようにして頂きたい。ここでは詳しくは語らないが、その方が楽しいと保証しよう。

 

・HF話進んでなくね?

  恋愛モノとしてHFを見たときに、今回全然話進んでなくね?と思う人も多いかと思う。

  この点に関しては、話が進んでないのではなく、話が進みすぎている、もしくは、最初から恋愛モノとしては完結しているのだ、と言いたい。

  何故なら桜は最初から士郎が明らかに好きであり、士郎もそうだからだ。あとは告白を残すのみ、といったところであろうか。さぁ合体しよう

  しかしまさにここである。ここに、桜は大きな傷を背負ってしまっている。

  それこそ、好きとか嫌いとかいう次元で語ることのできない、業のようなものである。最初に桜が士郎と出会ったとき、何故か桜は死んだ目をしているが、そこの理由にこそ、この物語の始まりがあるといっても良い。その部分を救うことがHFの大目標なのだ。よってこれは恋愛物語ではない。むしろ愛の物語である。

 

「正義の味方」の本質

  もう一つの大目標がこれである。士郎は、父親がわりの切嗣を見て育った。切嗣は、正義の味方になることの難しさを常に士郎に語っていた。その哀しそうな切嗣の表情をみて、切嗣が成れなかった正義の味方になることを士郎は約束したのだった。

  切嗣はどのように正義の味方を模索したのだろうか。ここはzeroのネタバレになるため、サラッと流そう。要は「少数を犠牲にして、大勢を救う」という事をしたのだった。しかしこれはある哲学的考察から失敗することが明らかなのであった。実際、切嗣は深い業を背負うこととなる。

  対して士郎の持つ正義の味方像はどのようなものであろうか?それはズバリ「みんなを救う」である。

  これはある意味切嗣が持った思想よりも理想論であり、過激である。

  これを愚直に実現しようとしたルートが凛ルートのUBWであり、士郎は結局、切嗣と同じ道を辿ることになる。ただし、覚悟という点でその本質は全く異なる着地を見せている。

  詳しくは前にブログで書いたので是非とも目を通して頂きたい。

 

yushak.hatenablog.com

 桜ルートで、士郎は上記とは違う正義の味方像を見つけることとなる。これはある意味、誰しもが実践でき、かつ本質的な正義の答えであると思う。

  そしてzeroにおける、切嗣が最後に至った正義の味方像も、(彼にその自覚はないかもしれないが)実はここであった…。

 

・100%楽しむために〇〇をやろう

 ズバリ、原作をやるべきである。この映画を100%楽しめるのは、原作をプレイして、一通りFateという世界観を俯瞰できるようになった人である。伏線回収の見事さをあらかじめ知り、そのテーマに対するアンサーの見事さをあらかじめ知り、その世界観の見事さをあらかじめ知ることで、映し出される画を見るという正に映画的体験の幸福を初めてダイレクトに味わうことができる。映画への没頭がここに実現する。

 そうでないと、疑問点が次々浮かび、頭が混乱し、人によっては意味が分からん!と投げてしまいかねない。集中できない。本来とても静謐で、なんとも言えない陶酔感と甘美な余韻を覚えるこのHFという舞台を、雑念で汚すのはもったいないのである。

 この記事はできる限りその雑念を払拭出来るように書いたつもりである。しかし、原作をプレイする処方箋には遠く及びはしないだろう。

 

総評として、100%今回のHFを楽しんだ側である僕は、やはり次回作も楽しみで仕方がない。この記事によって、少しでも多くの人にこの幸福な感情を共有してもらいたいと思っている。

 

ではまた。

 

【続き】

第二章の解説

yushak.hatenablog.com

 

第三章の解説

yushak.hatenablog.com