Kの思索(付録と補遺)

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論破は邪道である~ Kの思索(付録と補遺)vol.64~

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 ひろゆき氏の新著「論破力」の帯に、「厄介な相手がみるみる思い通り」みたいな宣伝文句が書いてあった。このような大衆ウケを狙った煽り文は、コンビニで売ってる怪しげな本にも見受けられる。

 

 しかしこのような分かりやすい煽り文句には、常に警戒をしなければならない。ひろゆき氏本人が「論破なんて普通に生活していてするものではない」と注意している。加えて彼は「論破は邪道」と公言している。人を論破して何事もなく「思い通り」になることなんて殆どない。著者もそう思ってるはずだ。兵法書孫子」の言う通り、そもそも戦わずして勝つよう工夫するのが王道である。論破が求められる場面を作っている時点でダメなのだ。

 

 もし正論を語るときは、「僕の言うことは間違ってるかもしれませんが・・・」くらいの方がよい。相手に正しい道を気付かせるくらいでないと、結局なんらかの「しこり」を残すことになるだろう。

 

 

yushak.hatenablog.com

 先日公開したホッブズの「リヴァイアサン」に関する記事について追記。

 

 ホッブズ自身も、記事内で私が心配したような事に思いを至らせなかった訳ではない。すなわち、結局「リヴァイアサン」で説いた国家哲学は単なる理想に過ぎず、現実に適応しうるものではないのでは、と。プラトンの「国家」も似たような批判に晒された。いつの時代も理想には現実がぶつけられる。

 

 しかしながら、それを補って余りあるほど、この本は人間本質の分析、洞察が圧倒的に優れている。だからこそ現代の国家にも使用されている数多の原理原則をここまで説得力を持って説明できるのだ。


 そして一番面白いのは、旧約聖書における「神の十戒」における本質の分析だ。彼は神の十戒を「人民をまとめ平和をもたらすために、主権者および人民は何を行動模範とすればよいか」という統治論だとみる。


 例えば「他の国の神を、神として仰いではならない」というのは、「隣の(青い芝生の)国の統治を臣民が羨んで主権者に反発すると、国が傾くこと」を戒めている。


 また「偶像崇拝の禁止」は、主権者以外のものに対し、主権者以上の権力を持つものを勝手に創造して崇めると、反乱が起こり国を傾かせると警告するものである。このような紐付けが十戒全てに渡って行われる。


 もちろんホッブズの語る事だけで現代の国家・法律が運営されてはいない。現代のそれに至るには、そこから更にルソーの社会契約論やミルの自由論を踏まえる必要があるだろう。とはいえ、だ。やはり現代の律法は、そもそもこの本に基礎付けられて受け継がれて来たのだろうと思う。だからこそ「リヴァイアサン」は、世界の大学で推薦図書の上位を悉く占める古典になっているのである。

 

mainichi.jp


 これはとてもワクワクするニュース。大山古墳のような「天皇」に関わる遺跡は、神聖な場所として宮内庁が管理している。そのため、基本的に外部機関の発掘調査などは認められていなかった。今回のように、外部機関による発掘調査によって、何かしら重大な歴史の謎を紐解けるかもしれない。例えば卑弥呼の墓と呼ばれる「箸墓古墳」に発掘調査が入れば面白い。史実に残る日本最古の国と言ってもいい邪馬台国。それが九州にあったのか幾内にあったのかは長いこと議論されてきた。この両学説の戦いに決着が着くかもしれない。

 

 END.