Kの思索(付録と補遺)

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クリード2 炎の宿敵 レビュー~ Kの思索(付録と補遺)vol.73~

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  クリード2炎の宿敵は、もはや伝説となったボクシング映画の金字塔「ロッキー」シリーズから継続する巨大なサーガである。そのため、クリード2を見るに当たって、ロッキーシリーズを紹介しなければ話が全く始まらない。

 


  ロッキーは、貧乏でゴロツキの弱小ボクサー「ロッキー・バルボア」が、なんだかんだで世界チャンプである「アポロ・クリード」と戦う事になり、結果的に「負ける」という映画である。

 


  しかし決してバッドエンドではない。この「負ける」という事が、非常に重要なロッキーのテーマなのである。ロッキーは、全く無名の弱小ボクサーにも関わらず、世界チャンプ相手に、最終ラウンドまで倒れずに戦い抜くのであった。その様の神々しさを目の当たりにした観客には、もはや勝敗など関係ない。その「倒れても絶対に立ち上がる」という崇高な姿に、誰もが心を打たれたのである。

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超がつくほど有名な「エイドリアン」と叫ぶシーンも40年前の事である。


  そしてロッキーはアカデミー賞の最優秀賞を取った。1977年の事である。何と今から40年以上前の話なのだ。そしてロッキーシリーズは続き、6作目まで作られた。

 


  そして時は流れ、クリード1が作られた。クリードという名に関しては、上記で書いたように、ロッキーが戦った世界チャンプ「アポロ・クリード」を思い出そう。その息子であるアドニスクリードが、ロッキーの魂を受け継ぐ形で主人公になったのだ。

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ロッキーと戦った世界チャンプ、アポロ・クリード

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その息子のアドニスクリードが本作の主人公


  このクリード1に関しては、毎年さまざまな映画を観る僕にとってさえ、生涯ベスト級と言って良いほど大切な映画である。もともとロッキーシリーズが大好きで、ロッキーに励まされて生きてきたような所がある僕は、このクリードに関して、少し疑いの目で公開を待った。しかし蓋を開けてみると、あらゆる場面で涙が止まらなかった。クライマックスに関しては、演出でなく、脳の誤作動で画面全体が光り輝くというような体験をしたほどだ。

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年老い、コーチとなった伝説ロッキー・バルボアクリードに自らの全てを引き継ぐ。

 

 


  さてそんな中で、今回クリード2が作られ、早速観に行ってきたわけだ。とはいえクリード1があれほどの大傑作であり、既にテーマ自体も完全に描ききっていて、これ以上何をするのかなぁと思っていた。するとなるほど、今回の敵を見れば、大体やりたい事が分かるのだ。

 


  実はアポロ・クリードは「ロッキー4」で殺されてしまう。その時の敵はイワン・ドラゴ。モンスター級のパンチ力を持ち、その数値は1トンを叩き出す。さて、ロッキー4の時点では、ロッキーとアポロは大親友となっていた。そんなアポロがドラゴに殺されてしまう様を見たロッキーは、リングの上でドラゴを倒すと誓い、見事勝利したのだった。

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ドラゴに怒りの鉄拳をくらわすロッキー


  というわけで、クリード2の敵は、このアポロ・クリードを殺したイワン・ドラゴの「息子」であった。名はヴィクター・ドラゴ。要するに、親から子、そして師弟に引き継がれた、因縁の対決という奴である。一体どうなってしまうのか!?

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というわけで因縁がぶつかるポスターなのです


  …とはいえロッキーサーガは、クリードを合わせると8作も続いてきた。40年も続いてきたのだ。そうすると、伝統芸能のように、ある程度の型が出来てしまっている。少しだけそれを紹介しよう。

 


自分の人生に不満を抱えたボクサー

何者でもない自分を、唯一何者かにさせてくれる恋人と出会う

ボクサーのコーチと喧嘩をしたり、圧倒的な敗北を喫する

恋人や友人に再起を促され、コーチと仲直りする

圧倒的トレーニングをする

最強と言われる敵と戦う

 


  ぶっちゃけロッキー1〜6も、クリード1も、クリード2も、これと全く同じ流れである。しかし伝統芸能がそうであるように、同じ流れでも面白く楽しめるのだ。それは何故かというと、その様式が圧倒的に普遍的で、美しいためである。そしてやはり師から弟子へと引き継がれる中で、少しづつアップデートされているのである。そしてその変化の中で、より本質的な部分が浮かび上がってくるのだ。

 


  例えばロッキーは、本当に社会の底辺だったのに対し、クリードは親のアポロが世界チャンプだったため、別に金には困っていない。つまり底辺と上流で真逆なのだ。しかし自らの内に抱えている鬱憤、すなわち、自らの人生が「こうじゃない!」と叫ぶのである。何者でもない自分に耐えられないのだ。環境が真逆だろうが、抱える鬱憤は共通なのだ。そこに本質がある。

 


  またクリードの恋人となるビアンカとの出会いも、ロッキーがエイドリアンと出会った時の事を思い出す。ビアンカは耳が聞こえづらい。エイドリアンはうまくコミュニケーションが取れない。しかし彼らは、積極的に相手への関心を寄せる事で、恋人同士になるのである。

 


  またロッキーは6作目で、自らの息子とも喧嘩をする。もう50を超えている人間が、世界チャンプと戦うとなったら、息子は反発して当然だろう。「何を考えてるのお父さん!」となって当然だ。そして息子は、ロッキーに対し「何のために戦うの!?」と訴えるのだった。これに対するロッキーの答えは、映画史上に残る名演説である。

https://m.youtube.com/watch?v=VISYiNL6RVQ


  これと全く同じ構図が、今度はロッキーからクリードに対して行われることになる。すなわち、クリードが「戦いたい!」と言ってるにも関わらず、ロッキーが何とかそれを止めようとするのであった。そしてクリードは、自らのコーチであるロッキーと、一度は喧嘩別れするのだった。

 


  これも繰り返す歴史だ。かつてロッキーはコーチである「ミッキー」と喧嘩をした。それに対して今回クリードも、今作でコーチであるロッキーと喧嘩をするのだ。人は歳を重ねて、その歳に応じた立場の苦しみを、結局どちらも経験するのだろう。

 


  ただこうなってくると、伝統を引き継ぐのは良いとしても、「どうやって絶妙なアップデートをするか」がとても重要になってくる。やはり観客に、今回はこうきたか!と思ってもらわないと、10歩先が読める退屈な映画になってしまうからだ。クリード2はそれが、至る所で素晴らしい。型は一緒なのに、全然退屈しない。今作に対して絶賛が相次ぐのはそのためだろう。

 

  例えばロッキー4とクリード2の対比をみると面白い。ロッキー4では、ドラゴが最新鋭の科学トレーニングに勤しみ、ロッキーが泥臭く雪山で薪運びなどのトレーニングをした。

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このあと薪割りを始めます

 

  これに対して、クリード2では、敵のヴィクターが泥臭いトレーニングに勤しみ、クリードが最新鋭の科学トレーニングに励むのであった。ただしこのやり方で、一度クリードはコテンパンにやられてしまう。リベンジを誓うクリードが2度目の正直として選んだトレーニングは、かつてのロッキーと同じような泥臭い方法であった。ただし場所は雪山ではなく、灼熱の砂漠だ。

 

  このように、型は同じであるが、何かを微妙に変化させつつアップデートしている。それによって、多様な状況・環境の違いがあったとしても、その心意気に宿る魂のようなものに、普遍的で本質的な共通の人生訓があると、我々に訴えてくるのである。

 


  しかしながら今回のクリード2において、個人的に一点だけ、それが上手くいっていない…どころか、もはや致命的だと思う点があった。それは奇しくも、ぼくがクリード1の時に、あまりの素晴らしさに、涙で前が見えなくなるほど号泣することになった演出。その引き継ぎであった。

 


  様式が引き継がれるということは、ともすれば「天丼」(お笑い用語。同じギャグやボケを二度、三度と繰り返して笑いをとる手法)になりかねないということを痛感する事になってしまった。これがなければ本当にまた大傑作が生み出されたと絶賛していた事だろう。(この部分に関してはネタバレを避けつつ書いているため、クリード1と2を観てから、もう一度読んでもらいたい。どの演出のことを言っているか分かるはずだ。)

 

 


  絶賛評が相次ぐ本作に関しては、王道で行けば、全てのロッキーサーガを順番に見てから、鑑賞するのが正しいのだろう。しかし僕はむしろ、「天丼」で笑ってしまう事を避けるために、ロッキー4を見たらそのまま本作を見た方が良いのではないかと思ってしまう。

 


  とはいえ10点満点中9点はつけられる名作である事に違いはない。是非映画観で鑑賞して欲しい。ここまで流れが分かっていて、ボクシングの試合結果もわかってる物語で、これだけ観客をハラハラさせることが出来る。その技術の高さは必見に値する。

 


  END.