Kの思索(付録と補遺)

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神さまのおとぎ話 他〜 Kの思索(付録と補遺)vol.91〜

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「天気の子」を3回も観たからか、くもり空にも美しさを感じる。

 

2019/8/13(火)

・フェリーの寝台は、廊下の両端にベッドがあるかんじで、扉もなく、各々のベッドをカーテンだけで仕切るつくりだった。

当然、クーラーがない。出発してからは船内の気温が下がり始めたが、そこまではかなりの蒸し暑さで寝られない。これはとてもネックだった。


・フェリーの寝台で6時間しっかり寝たはずだが、やはりカプセルホテルよりせまく、かつ常にゆれているという環境では、思ったほど疲れはとれなかった。

結局、家に帰ってから昼過ぎまで寝ることに。


【旅行目的を選別する】

旅行では「何に目的をおくか」をえらばなければ、お金がいくらあってもたりない。食事にもお金をかけて、ホテルにもお金をかけて、移動にもお金をかけていたら、旅行がとてもまれなイベントになってしまう。

できるかぎりたくさん旅行にいくためには、目的をえらぶ必要がある。

さてぼくの場合、一人旅行においては移動費に余剰資金をもっておくのがかなり重要だ。そのぶん、宿泊場所や食事がやすくてもかまわない。カプセルホテルでカップラーメンでもかまわない。その余剰資金でタクシー移動することのほうが重要だ。

なぜかといえば、「たくさんの観光地をめぐること」が僕のひとり旅行の目的だからだ。

例えば、電車でなかなかたどり着きづらい観光地のばあい、タクシーかバスをつかって移動することになるだろう。これは実際に京都旅行であった話だが、バスで金閣寺にいこうとしたら、バス待ちの行列と大渋滞で3時間以上を要していた。バスは停留所がきまっているため、メインストリートしか通れず、大渋滞は避けようがない。そこでタクシーを使って、渋滞を避ける裏道で、バスの3倍の値段をかけて金額寺まで15分程度でついた。

このように移動にお金をかけることで、巡れる観光地の数がまったく変わってくる。

巡れる観光地を増やすことで、その土地での体験密度を上げるのだ。ほかの人がおなじ観光地を3回訪れて巡る場所のいくつかを、1回でやりきってしまうのだ。それはつまり、バスの節約をやめることで、行き帰りの交通費を大節約しているのだ。

このように、「目先では金を使ってるように思えるものの、長期的にみると節約になっている」という視点は重要だと思っている。

これをあたりまえのことだと思う人は、遠くのスーパーに10円びきの卵を買いにいきはしないだろう。何時間もかけて350円の牛丼をタダでたべるための行列には並ばないことだろう。

そして忘れないでほしいことは、あくまで上記した例が「観光地を巡ることを目的にしたものである」ということだ。これが宿泊場所を目的にするとか、食事を目的にするとかならば、また全然べつのやりかたになる。

例えば宿泊場所を目的にする場合、もはや街中にいないほうが良いだろう。

 

2019/8/14(水)

【男の舌は茶色い飯がすき】

鉄腕ダッシュにて城島と松岡が男飯をつくってて、最低限の彩りはあるものの全体的に茶色の料理たちがそろったところで、城島が「茶色いなぁ」といい、松岡が「男飯は茶色でいいんだよ」と言いはなつ場面にグッときた。

男が自分でつくって食べたいのは茶色い飯だったりするものね。

でも女の子に作ってもらいたいのは彩りある料理だったりする。それは「彩りある料理をつくれる女子と食事をしている」というのが一つのよき要素になっているから。めんどうくさい生き物だよ。

そのときは味よりもあこがれを食べているんだ。

ところが男は普段ひとりだと茶色いもんばっかり食う生きもの。トンカツとか牛丼とか唐揚げとかとか焼肉とかね。

 

2019/8/15(木)

【神さまのおとぎ話】

神さまは、この僕の観測を通してしか世界を描けないのかもしれない。

神さまは何でもできるけど、それはこの僕の観測を通してだけの全能だ。「僕が」なにを知るのか、「僕が」なにを経験するのか、「僕が」どう生きるのか、それらを神さまはすべて描くことができるけれど、そこまでなんだ。

全ての人や物事を動かしているようにみえて、実はぼくに見せたいものだけを見せているのだ。

神さまは僕にこれから何をあたえるか、ぜんぶ決めることができるけれど、未来のすべてを決めることはできないんだ。神さまは、あまり遠くの未来までは予測することができない。なぜかって、神さまはいま、まさに今、小説を書くようにして僕をこれからどうするか決めているんだ。

それがなぜかはわからないけどね。

僕は時計じかけの歯車だ。「何のために自分は回っているのか?」って歯車がいう。でも神さまは時計を刻むためだとは答えてくれないんだね。

未来はいつも、細かくきざまれた「いま」の先にある。

もしそうなら、事あるごとに色々と面倒なことを起こしたいと思っているんだろう。そうじゃないと物語は面白くないからね。

僕の観測によってしかこの世界が確定しないのは、神さまが僕の観測を通じてしか世界を描けないからだ。

だから未来はつねに不確定なんだ。

僕のほかにも同じような観測者がいるようにみえるかい?でも僕には、彼らの存在をいくらでも疑うことができるだろう。

「彼らは、僕の目をとおして神さまがみせている、ただの機械人形なんじゃないか」ってね。

 

2019/8/16(金)

【動画編集での学び】

きのうの夜から今日にかけて、ひたすらとある企画の動画編集をした。

8分の動画をつくるのに8時間もかかった。

ここでの学びは3点だった。

①「編集時間は、動画の収録時間に比例する」

②「完成した動画の時間は、収録時間に比例しない」

③「動きのある動画ほど、とれ高が増えやすい」

いつか編集した動画集をこのブログにもリンクさせたい。