Kの思索(付録と補遺)

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ことばとしての言語と、数式としての言語〜Kの思索(付録と補遺)vol.103〜

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ナパレ「こんな辺鄙な所にお客さんがやってくるなんて珍しいんですよ。お名前はなんと言うんですか?」


無銘の者「事情が特殊で、私はまだ名前を持っていないのだ。なんと呼んでもらってもかまわないよ。」


ナパレ「そうなんですか。しかしそう言われても私も困ります。なんと呼べば良いでしょうか?」


無銘の者「では『無銘』と、今のところは呼んでもらうことにしよう。」


ナパレ「わかりました。しかし無銘の方、何をしにこんなところへ?」


無銘の者「色々なところに一定期間住んで、そこに住む人々と、あれやこれやの事を語り合っているのだよ。」


ナパレ「対話の旅ということですか。」


無銘の者「そのとおりなのだ。そして私の頭に溢れるあれやこれやの疑問について、理解を深めていくのが楽しみなのだ。」


ナパレ「それは随分と珍しい楽しみですね。」


無銘の者「まぁ、これはいつも大抵、ほんの僅かの示唆に留まるものなのだけれどもね。それにまた、謎が深まって終わることもある。しかしそれ自体が楽しいのだ。」


ナパレ「なるほど、では今回は私がその相手を致しましょうか?」


無銘の者「それはありがたい申し出を頂いた。なにせ今もなお、私の頭の中では様々な取るに足らない雑念が、どうしようもなく心を捉えているのだからね。」


ナパレ「それが何かを言っていただけると、頑張って私も考えてみたいと思いますが。」


無銘「とはいえ、まだそれが私の心の中で、どのような疑問なのかすら、完璧に言語化出来ないでいるのだよ。だからまず、問うことから初めて見る。問いがわからないまま、それでも何かを問い始める。その過程で徐々に『何がわからないかが分かってくる』。私はいつもこのようにしているのだ。」


ナパレ「なるほど。では何をまず、何から問うのでしょうか?」


無銘の者「ふむ。では君は数学や物理、その他数式を用いて真理を見つけようとする学問を、学んだことがあるかね?」


ナパレ「はい。少しですが。」


無銘の者「ところで、よく数式の本質は計算ではなく言語だと言われるが、君はどう思うかね?」


ナパレ「はい。言語の一種だと思います。」


無銘の者「君のいうそれは、言語が文字のならびによって何かを語るのに対し、数式も同様に、記号という文字の組み合わせを解くことによって何かを語るという類似によって、ということだね?」


ナパレ「その通りです。」


無銘の者「また言語も数式も同様に、何かを伝えようとしているということも類似している、そのこともだね?すなわち仮定をおいて、ルールの元でそれを解き、結論が導き出されるというやり方によって伝えられるという点で。」


ナパレ「それもまたその通りです。」


無銘の者「そうだとすると、数式が言語である、というのは、やはりおそらく、正しいのかもしれない。」


ナパレ「と仰られるということは、何か引っかかっていることがあるということですか。」


無銘の者「わたしにはどうも、数式を解くことが脳の言語野を使っているようには思えないのだよ。すなわち、数式が言語だとすると、君とわたしとのこの対話のように、何かを相手に伝えようとするこの感情の沸き起こりみたいなものが発生してくるように思うのだが…君はどう思うかね?」


ナパレ「わたしには、あなたがおっしゃりたいことがどういうことか、まだよく分かっていません。」


無銘の者「これは全く些細な疑問なのかもしれないよ。すなわち数式を言語と呼んでいいのか、という疑問なのだ。そこで君に『言語の目的とは何か』を聞いてみたいのだが。」


ナパレ「私はそのようなことをまったく考えたことがありません。むしろ無銘の方はどのように考えるのですか?」


無銘の者「『文字列を組み合わせることによって、なんらかの意思疎通を図ること』、わたしにはこれが言語の目的であると思われる。」


ナパレ「それは確かにそうかもしれません。」


無銘の者「そこでだ、数式は意思疎通を図っているのだろうか?」


ナパレ「先ほど無銘の方が仰られたとおり、『仮定をおいて、ルールの元でそれを解き、結論が導き出される』という点で、意思疎通を図っているのではないでしょうか?」


無銘の者「そこなのだ。そこでナパレ、君に聞きたいのだが、我々は数式を解いたり、計算をしている時に『意思疎通を図ろう』と思っているだろうか?すなわちまさにそのことを意思しているだろうか、ということなのだが。」


ナパレ「それはしていないと思います。」


無銘の者「そうだろう。僕の予想では、そのとき君は意思疎通を図ろうとは思わずに、ただ計算を解いている。そうではないかね?」


ナパレ「その通りです。」


無銘の者「そして問題なくそれが解けると、結果が現れるのだ。そしてこれが、意思疎通におけるハンマーステートメントとして現れている。」


ナパレ「どういう意味でしょうか?」


無銘の者「つまり、計算過程そのものは、ただルールに従って…すなわち1+1が2になることとか、マイナスとマイナスの掛け算がプラスになることとかを厳密に守り、そのルールから逸脱しないように慎重に歩みを進める行為であって、それは意思疎通ではなく、本当に言いたいことというのは、それらが終わった後の結果に現れている、ということだ。」


ナパレ「確かにそうかもしれません。」


無銘の者「だがね、君、そこを立ち止まって、よくよく考えてみたまえ。」


ナパレ「何を考えれば良いのでしょうか?」


無銘の者「計算を始める前の仮定、そして計算中、そして計算の結果とそれらを並べた様子を思い浮かべてみたまえ。それに対して我々は、意思疎通を図ろうと思っている箇所があるかね?」


ナパレ「もう少し詳しく教えて下さい。」


無銘の者「つまり、結局これらを並べてみても、『意思疎通を図るための手段として計算が使用された』としか思えないのではないか?つまり、そこに意思疎通を図ろうという意思そのものはなく、それが、『結果として』意思疎通を担うことになった、ということが後から知らしめられるのだ。」


ナパレ「なるほど。つまり、計算前の仮定や、計算中、そして計算の結果が出るまでの一連の流れの中には、意思疎通を図ろうという思いがあるというよりは、ただルールに従って理論を積み重ねる行為、それだけがあるということでしょうか?」


無銘の者「そのとおりなのだ。」


ナパレ「なんとなく理解できたような気がします。」


無銘の者「となると結局、君!我々の定義で行けば、やはり数式は言語の目的を達成していることになる。なぜならば『文字列を組み合わせることによって、なんらかの意思疎通を図ること』、これが言語の目的の定義だったのだからね。」


ナパレ「そうでした。その通りです。」


無銘の者「となると、我々にはいまや何が明らかになったのだろうか?それとも、我々はただの堂々巡りをやったのだろうか?」


ナパレ「そんなはずはありません。ですが、それがなんなのかが私にはよくわかりません。いま何が明らかになったのでしょう。」


無銘の者「私にはこう思われる。つまり、いわゆる普通に話される『ことば』としての言語と、数式としての言語では、その使用の際、意思疎通を図ろうという思いが乗るタイミングが違うのだ。」


ナパレ「どういうことでしょうか?」


無銘の者「ことばとしての言語の場合、それが使用されているまさにその時に、『意思疎通を図ろう』という思いがあるのではないかね?」


ナパレ「その通りです。」


無銘の者「しかし数式としての言語を使用する場合は、その意思疎通を図ろうという思いは、ルールを行使しているその最中には、まったく現れてこないのであった。」


ナパレ「なるほど、よく理解できました。」


無銘の者「我々が知ったのはつまりこのようなことだ。数式を解く計算の一連の過程に意思は介在せず、数式の使用のために定められたルールと、その機能が我々を導くのだ。だから、その一連の流れの中においては、いわゆることばを話す際の脳の領域はあまり使用されないといえるのだ。」


ナパレ「そうなると、数式を使用する能力と、ことばを使用する能力は、別のものということでしょうか?そしてそれはいままで言われてきた違いに由来すると。」


無銘の者「その通りなのだ。さらに言えば、ことばのルールと、数式を守るルールは全く別ものであるということも言えるだろうがね。」


ナパレ「よく分かりました。」


無銘の者「さらに数式のルールは、普段の生活で使用されることばのルールほど、自然に身につくものではない。」


ナパレ「日常生活では、会話ほどには、数式は使用されませんからね。」


無銘の者「そして数式のルールは、学問が進歩していくにつれ、更新されていくのだよ。そしてそれを日々学び、訓練しなければ、正しく使用しつづけることは困難なのだ。」


ナパレ「その学習に意欲がある人と無い人とでは、全く数式を解くレベルが異なってくるのも当然です。」


無銘の者「その通りなのだ。さて、これを最後に、分かりやすく何かに例えてみることにしようではないか。」


ナパレ「何に例えるのでしょう。」


無銘の者「なんでも良いのだが…まぁ、うまい例えではないかもしれないが、とりあえずサーカスに例えてみることにしてみよう。」


ナパレ「どのように例えるのですか?」


無銘の者「『ことば』の使用をサーカスで言うところの指導や対話に例えることにする。そうすると、数式を解く行為は、サーカスをおこなって、成功させる行為そのものに例えることが出来るだろう。」


ナパレ「どういうことでしょう?前者の説明は、確かにそのままその通りだとは思いますが。」


無銘の者「後者は、失敗することなく綱渡りを成功させる行為に集中している。そして成功か失敗かが、結果として示されることになるが、その結果の可否は訓練によって異なる。彼はサーカスでの指導の効果を、その一連の過程で示すだろう。そして、その結果が示された時には、彼が指導者に伝えることはもはやそこに何も残ってないのだ。彼は語り終えたのだから。」


ナパレ「私には分かりやすい例えです。そして、とても面白いお話でした。」

 

無銘の者「だがね、ナパレ。安心してはいけないよ。いま我々は、ことばと数式が、『言語の目的』による一致を見た。しかし、『言語そのもの』としては、両者は全く異なるものだということが明らかにされたのだ。」

 

ナパレ「確かにその通りです。」

 

無銘の者「では次に問うべきは『言語とは何か?』という事であろう。ことばも、数式もひっくるめた上でね。」

 

ナパレ「これはまた厄介な問いですね。」

 

無銘の者「その通りなのだ。そしておそらく、これは非常に困難な対話になるだろう。だからこれを話すのはまた今度にしよう。流石に私も疲れたからね。」

 

ナパレ「それでは、また次の機会を楽しみにしています。」