Kの思索(付録と補遺)

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2020年個人的映画ランキング~ Kの思索(付録と補遺)vol.111~

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今年も年末の定例企画として、今年観た映画のベストを発表していこうと思う。なので、旧作も混じっている。


興味を持ったものは、正月休みのお供にでもして貰えれば幸いである。


ベストの前に、まずはワーストをひとつだけ発表する。


ワースト1

ミッドサマー

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【あらすじ】(Wikipediaより)

 

原題は、スウェーデン語で夏至祭(ミィドソンマル)を意味する。アメリカの大学生グループが、留学生の故郷のスウェーデン夏至祭へと招かれるが、のどかで魅力的に見えた村はキリスト教ではない古代北欧の異教を信仰するカルト的な共同体であることを知る。この村の夏至祭は普通の祝祭ではなく人身御供を求める儀式であり、白夜の明るさの中で、一行は村人たちによって追い詰められてゆく。


【感想】

文化というものに対して、大きな偏見と嫌悪を植え付ける可能性があるというこの一点において、極めて不愉快であった。

 

まさに宮崎駿のこの画像の気持ちであった。

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いいシーンをひとつだけあげるとするなら、最初の人身御供シーン。

 

動転する主人公達に、ホルガの村の人々が全身全霊で「これは私達の文化なの」と理解させようとする。この時点では、文化に対しての尊重を感じた。

 

だが彼らは映画が進行するにつれ、外部者に対して、「自らの文化のもとで正当ならば、外部者の意思に反する行為でも、好きにしていい」とする動機として、まさにこの文化を使いだす。ここからもう不愉快で仕方なかった。

 

自らの文化を尊重するならば、相手の文化も同様に尊重して然るべきである。

 

だがこの映画は、そういう事を全く考慮せず、ただ自らの文化こそ完全な正当であるとして、他の文化を踏みにじっている。これがすべての文化的断絶・争いの根源である。

 

まぁそれを表現したということなのかもしれないが、で?という感じであり、不愉快なものは不愉快である。最後の主人公の笑顔は、露悪こそ真実というような監督の偏見的で歪んだ思想が透けて見えるようで、鳥肌が立つほどに気持ちが悪い。


酷評したが、ワーストは人によってはベストになりうる映画であるとも思う。現にアフター6ジャンクションでは、リスナーランキング3位、宇多丸ランキングでは1位に位置する。

 

さてここからは、いよいよベスト5を発表していく。


5位

なぜ君は総理大臣になれないのか

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【あらすじ】(映画公式サイトより)


衆議院議員小川淳也(当選5期)、49歳。

2019年の国会で統計不正を質し、SNSで「統計王子」「こんな政治家がいたのか」と注目を集めた。

彼と初めて出会ったのは、2003年10月10日、衆議院解散の日。

当時32歳、民主党から初出馬する小川にカメラを向けた。「国民のためという思いなら誰にも負けない自信がある」と真っすぐに語る無私な姿勢に惹かれ、事あるごとに撮影をするようになる。地盤・看板・カバンなしで始めた選挙戦。

2005年に初当選し、2009年に政権交代を果たすと「日本の政治は変わります。自分たちが変えます」と小川は目を輝かせた。

現在『news23』のキャスターを務める星浩や、安倍政権寄りと評される政治ジャーナリスト・田﨑史郎ら、リベラル・保守双方の論客から“見どころのある若手政治家”と期待されていた。しかし・・


【感想】

政治活動における選挙戦に参加する事は、すなわち一つのスポーツ戦に近いことだと分かる映画。

タイトルにある通り、主人公はおそらく政治家に向いていない。

だが映画全体は悲観的なムードになる事なく、常にスポーツ戦を見るような熱を持っている。

最後の接戦はまさにそれである。

主人公は、思想としてはただ国を良くしたいという純粋な気持ちにも関わらず、様々な板挟みに合い、どちらに転んでも批判されるというような目に遭う。

そして、彼がどんな立場にあるか知りもしない投票者に、「軸がない」と冷徹な批判を受ける。

つまり政治家というものは「理想を実現するために板挟みを受け入れ、どんな批判でも受け続ける」という純な姿勢だと、構造的に、立身出世出来ないということが分かる。

だがそういう構造においても、同じ姿勢を貫き続ける主人公は信念があって良い。


4位

三島由紀夫vs東大全共闘

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【あらすじ】(映画.comより)

 

1969年5月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・三島由紀夫と東大全共闘との伝説の討論会の様子を軸に、三島の生き様を映したドキュメンタリー。1968年に大学の不正運営などに異を唱えた学生が団結し、全国的な盛り上がりを見せた学生運動。中でももっとも武闘派とうたわれた東大全共闘をはじめとする1000人を超える学生が集まる討論会が、69年に行われた。文学者・三島由紀夫は警視庁の警護の申し出を断り、単身で討論会に臨み、2時間半にわたり学生たちと議論を戦わせた。伝説とも言われる「三島由紀夫 VS 東大全共闘」のフィルム原盤をリストアした映像を中心に当時の関係者や現代の識者たちの証言とともに構成し、討論会の全貌、そして三島の人物像を検証していく。


【感想】

行為というものは、常に何らかの思想によって動機付けられている。よって他者の行為が異常に見える場合は、彼の思想がわからないということである。

その思想は、無意識の場合もある。

だが、彼の行為を他者に理解させよう、または認めさせようとする場合においては、その思想がどういうものであるのかを伝えるためのツールとして、言語化を要求される。

そして言語化された思想は、ときに理解者を増やすだろう。

「他者の思想を理解する」という事はすなわち、彼の思想が幾ばくかの変遷を受けたことを意味する。

思想が変遷したのだから、彼のこれからの行為も変わっていくだろう。

三島由紀夫がこの映画の中でいう「言霊」とは、そのようなものである。


3位

日本のいちばん長い日(1967)

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【あらすじ】(映画.com)

1945年8月14日正午のポツダム宣言受諾決定から、翌日正午の昭和天皇による玉音放送までの激動の24時間を描いた名作ドラマ。広島・長崎への原爆投下を経て日本の敗戦が決定的となった昭和20年8月14日、御前会議によりポツダム宣言の受諾が決定した。政府は天皇による玉音放送閣議決定し準備を進めていくが、その一方で敗戦を認めようとしない陸軍将校たちがクーデターを画策。皇居を占拠し、玉音放送を阻止するべく動き出す。


【感想】

シンゴジラの元ネタともいうだけあって、物語は常に激論で進行する。

行為を決定する為には、言霊を飛び交わさなくてはならない。

昨今の日本的会議は、批判を受けたくない、緩やかに流れに乗りたい・見守りたいという理由から、発言行為自体を恐れる者や、立場を曖昧にするための意味不明な発言をする者が多く、これにより決定が遅れる傾向にある。

だがこの映画の登場人物達は、全員が責任感の塊であり、立場を明確にした発言をする。

これにより、立場ごとの各正論が、ひたすら会議の場で飛び交うことになり、結果として、決定が遅れるというのが面白い。

会議というものは、埒があかない場合、決定を、その場の最高権限者の聖断に委ねることになる。

この映画の場合の聖断者は、昭和天皇であった。

つまり終戦の決定は、昭和天皇自らが下したのである。

(なお余談であるが、大東亜戦争における日本の「暴走」は、当時の参謀本部が「統帥権」というものを振り回した事に起因する。)


2位

TENET

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【あらすじ】(Filmarksより)

主人公に課せられたミッションは、人類がずっと信じ続けてきた現在から未来に進む〈時間のルール〉から脱出すること。

時間に隠された衝撃の秘密を解き明かし、第三次世界大戦を止めるのだ。

ミッションのキーワードは〈TENET(テネット)〉。

突然、国家を揺るがす巨大な任務に巻き込まれた名もなき男(ジョン・デイビット・ワシントン)とその相棒(ロバート・パティンソン)は、任務を遂行する事が出来るのか!?


【感想】

要するに時間操作における多世界解釈やルート分岐を認めない場合、全ては決定論的に進行するという事である。

時間逆行の操作を起こした場合、それを時間順行側の観測者から見ると、結果が先にあり、それが起きた原因が後から「追突してくる」ように感じられる。原因が分からないのに、そこにすでに結果はあるからだ。

例えば弾痕があるという結果を目撃した時、その原因が必ずやってくる。だが、いつどこでどのようにやってくるかは分からない。これは恐怖に変わるだろう。

加えて、時間逆行を生じさせた決定論的世界においては、ルート分岐が存在しないので、原因と結果の関係は、常に同一の世界線の中で相互作用することになる。

いいかえると、順行側からの原因→結果があり、また逆行側からの原因→結果があるということだ。

だから「原因→結果←原因」(TENET)となるはずで、この原因同士が衝突する「結果の特異点」のようなものが存在することになる。ここが映画のクライマックスであった。

この場合、起源者としての神は主人公だったことになるが、主人公は神であるつもりはなく、ただ決定論的な世界の進行に従わされただけだったという形になる(神の不在)。

ここまでの解説が意味不明だった読者はそれでも構わない。

要するに、上記のことを映像化したことはそれだけで偉業であり、そこに大感動したという事を伝えたかったのである。

 


一位

フォードvsフェラーリ

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【あらすじ】(映画.com)

1966年のル・マン24時間耐久レースで絶対王者フェラーリに挑んだフォードの男たちを描いたドラマ。ル・マンでの勝利を目指すフォード・モーター社から依頼を受けた、元レーサーのカーデザイナー、キャロル・シェルビーは、常勝チームのフェラーリ社に勝つため、フェラーリを超える新しい車の開発と優秀なドライバーの獲得を必要としていた。シェルビーは、破天荒なイギリス人レーサーのケン・マイルズに目をつけ、一部上層部からの反発を受けながらもマイルズをチームに引き入れる。限られた資金と時間の中、シェルビーとマイルズは力を合わせて数々の困難を乗り越えていくが……。


【感想】

タイトル詐欺と言ってもいい。フォードとフェラーリの戦いを描くことが、この映画の本質ではない。

またよく言われているように、企業内政治の清濁を描くことを目的にした映画でもない。

この映画は、プロフェッショナルとは何か?を突き詰めた結果、生きることの目的、すなわち自らの使命を果たすことの本質を浮き彫りにしたのだ。

だからまず、プロフェッショナルとは何かを考えてみたい。

まず「クライアントが求める成果を達成する」ということが、必須項目だろう。

だが、「自分が納得のいく成果を残す」ということも、プロであるほどに尖るはずである。

苦しいのは、この二つが、時に真っ向から衝突することである。

だが、この二つを見事に斥候させてこそ、真のプロなのではあるまいか。

転じてそれが、自らに課せられた使命であることに納得したのであれば…。

この解決の落とし所があまりに尊すぎて、私はクライマックス、画面が見えなくなるほど号泣した。

また、帰りの車の中でも思い出し泣きしたほどである。

今年、文句なしのベスト映画と言える。


以上、今年観た映画ランキングであった。