Kの思索(付録と補遺)

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全てを味噌汁にぶちこめ~ Kの思索(付録と補遺)vol.118~

日本人は遥かな昔から、味噌汁と米と漬物を基本の食事の型として生きてきた。

全て自然から与えられたものだ。自然の業から生まれたものだ。だから飽きが来ない。

いっそ昔に戻り、全部を味噌汁にしようと割り切れば、冷蔵庫の中身が全て味噌汁の具に見えてくる。味噌汁に合わない食材なんて、ほとんどないからだ。

味噌汁の具の量は適当だ。

だから冷蔵庫の中にあるものが適当に消費できる。

これを作るために、アレコレをいくら買ってこないと…などと考える必要がない。

適当に買ってきて味噌汁にぶち込めば良い。

ダシ上手くとる必要すらない。具がたくさんあれば、それから十分なダシが出る。

あとは味噌を溶くだけで良い。塩や醤油と違って、味噌の味の調整し易さに驚くだろう。

これを意識することで、自炊革命が起きる。

 

 

 

ふだんは哲学書学術書、大長編の歴史小説などばかりを読んでる生活なので、たまにそれ以外の本を読むと、読み終わる速度の速さに驚く。

書店にならんでいる自己啓発本などは、もうどれを見ても1分から5分とかで読み終わってしまうから、最近は手にも取らない。

自然に起こる速読がある。それは、理解している部分を読み飛ばすことで起きる。

目次から大意がわかれば、それでもう読まないか、流し読みで何を言いたいか大体分かってしまうので、結果的に速読のようになっている。

たまに、気分でじっくり中身を見てみたりするが、やはり「こういうこと言うだろうな」ということを、そのまま言っている。

結局、自己啓発など、だいたいみんな同じことを言っている。言い方をアレコレと変えているだけなのだ。

故に、このようにして何百冊を読んだところで、なんの意味もない。実際に新しく得られている知識は殆どないからだ。

古典が凄いと思うのは、どれを読んでも上記のようにはならず、常に新鮮な発見が飛び込んでくることだ。

読むのに時間がかかるということは、それだけ自分にとって新しい情報量があることの証である。

時間をかけて読むだけの価値があるのだ。

哲学者のショーペンハウアーは、「良い本は、何度読んでも、読みすぎたということがない。最新の駄本を何百冊と読むよりも、古典的な良本一冊を繰り返し読め」と言っている。

 

 

 

ふとしたときに、自然とアレコレ考えてしまう。

それをただただ、何も考えずに綴っている。

考えていることを、考えずに綴っている。

意味ありげな内容も、ただ自然と書かれているだけ。

私が文字として画面に落ちているだけ。

本当は無意味かもしれない付録と補遺。