2018年に観た個人的映画ランキング(新作・準新作)~ Kの思索(付録と補遺)vol.68~
今年もやってきた映画ランキングの時期。今年中に上げようと思って昨日からババっと書き上げ、なんとか間に合った。年末年始の暇つぶしに、参考となれば。それでは早速発表していこう。
次点 ボヘミアンラプソディー
伝説のバンド「QUEEN」を描いた伝記映画。結果的に今年最大級のヒットとなったので、読者の中にも観た人は多いかと思う。一部では「時系列が異なる」とか、それ故に「虚構だ」と批判もされているが、私はその事実を聞いても全く気にならなかった。どんなドキュメンタリーだろうと、全てが史実などあり得ない。というか、真実はもはやメンバーですら過去になっていて分からないだろう。虚構上等。この映画を観たことで、QUEENの音楽がさらに僕の魂を震わせてくれるようになったのだ。伝説のライブ「LIVE AID」の完全再現をとくとみよ。
10位 ミッションインポッシブルフォールアウト
トムクルーズは何に突き動かされているのだろう。彼の身体の張りっぷりは常軌を逸している。もちろんハリウッド映画の積み上げられた撮影ノウハウで、最新の注意と練習を重ねて、一切のアクシデントがないように本番を行なっているのだろう。
だがそれでも、観客が思わず悲鳴を上げてしまうほど危なっかしいアクションの連続である。というかトムクルーズ、実際に骨を折る怪我をしている。とにかくスタントを使わない。しかもヘリの操縦シーンを撮るために、自ら操縦すると名乗りでて、練習し、マスターしている。だからヘリの操縦シーンのトムの顔は色々とマジなのだ。全ては観客にハラハラを楽しんでもらうためである。
こんな男がいてくれることに、思わず頭を下げたくなるというかなんというか。でもどうか死なないでほしい。まだまだ、あの体幹のいい「トム走り」をみたいのだ。
9位 ちはやふるー結びー
映画ちはやふるの最終章。まるで王道少年漫画のようである。ラストに向けて整えられた敵たちと、友との喧嘩。そして雨降って地固まる。最強の男との訓練、覚醒、「まだだ、まだ終わってない」というセリフなどなど、これぞエンタメという作品に仕上がっている。恋愛はもうおまけである。正直お前らがくっつこうがくっつきまいがあんまりそこは興味がない。目の前には最強の敵がいるのだ。どうやって勝つのか。そしてその勝敗は感情論でなく、しっかりと合理性があるのか。ちはやふるはここにこそ真髄がある。広瀬すずの演じる千早の、凛とした顔が、それに華を添えている。
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8位 恋は雨上がりのように
大泉洋は「探偵はBARにいる3」で完全に俳優としてその実力を確立した。ちょっと抜けてる感じもするが、やる時はやる男というルパンのようなキャラクター。僕にはもう圧倒的なイケメンにしか見えない(暴走気味)。
小松菜奈演じる女子高生は、この大泉洋演じるバイト先のおっさん店長に恋をしてしまうのだが、大泉洋はイケメンなのだから仕方ない。いわゆる年の差恋愛モノだが、描くことは単なる恋愛だけに留まらない。生きているうちに訪れる様々な理不尽や、決定的失敗の意味、そして選択と集中が左右する人生行路など、とても含蓄のある物語となっている。小松菜奈が走る姿も美しく、映画を観ているなぁという気持ち良さがある。
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7位 ペンギンハイウェイ
物語としては結構淡々と描かれているし、そこまで大きく盛り上がる何かがあるというわけではない。謎解きが重要なエンタメ要素となっているものの、その正体は結構常軌を逸していて、ムー的ではある。人によっては「少年」の「お姉さん」への性的な目覚め描写が若干気持ち悪いという人もいるかもしれない。僕も見終わった当初は、完全に手放しで褒める感じではなかったのだ。
しかし時間が経つにつれ、この順位に置いてしまうほどジワジワ好きになっていった。どうしようもない。つまりこれは個人的にストライクだったということだ。大切な人との、一夏の楽しい青春、そして爽やかな別れみたいなものが、個人的に、あまりにも僕のツボを押したのだった。
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6位 勝手にふるえてろ
松岡茉優という稀有な才能が、殆ど独り舞台のような作品を産んだ。この作品にはこれまでの松岡茉優が学んだ「演技」とは何か?という哲学の全てが発露している。だから演技力は間違いなく凄まじいと評価できる。
とはいえ、その弊害として、この演技を観ていると、映画を見ているというより、演劇を見ている感覚になってくる。それは演者としていい事なのかというと、自然でありのままの感じを切り取りたい監督には不向きだろう。だからこそ、その松岡茉優の「演技」に対する概念は、次に紹介する監督の映画で一転させられることになる。
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5位 万引き家族
日本を代表する「是枝裕和」監督。僕はもう何年も前から知っているが、映画好きでない限り、知名度はまだまだ高くないだろう。とはいえ、去年はこの映画で「パルムドール」(世界で最も有名な映画祭である「カンヌ国際映画祭」の最高賞)を受賞し、日本でも少しは名が知られるようになった。
松岡茉優はこの映画で、前述の「勝手に震えてろ」で見られたような「演技の技法」を捨て去ることになる。まさに脱皮と言えよう。なぜなら、是枝監督は「演技らしさ」みたいなものを嫌う。例えそれがどれだけ完成されたものでも。画面が舞台劇のようになるのを嫌うからだ。あくまで「今そこにある現実の情景」でなければダメなのである。そして、それを実現できる頂点に位置する女優が「安藤サクラ」である。松岡茉優は安藤サクラに「負けた」と感じたらしいが、それは「脱皮」の数が少ないだけのこと。みなさんにはこの映画の全てを持っていった安藤サクラの演技を見て欲しい。
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4位 来る
中島哲也監督といえば、日本で最も賛否が分かれる監督の一人と言ってよいだろう。下妻物語、嫌われ松子の一生、告白、渇き等で有名である。薬がキマッているかのような絵作りと、露悪的で過剰な構成、すなわち日本的風景の惨劇を記号化し、増幅してみせるような性格。
中島監督に賛同する人は概ね、この露悪を「やったぜ!この中島作品見てる感じ!」と楽しめるファンである。賛同出来ない人はいわゆるちゃんとした映画論評者か、一般的な感性の持ち主である。
僕は前者なので、過剰に書き込まれた妻夫木さん演じる夫のネグレクトぶりや、黒木華さん演じる妻の育児ヒステリー、そして完全崩壊する日本的な核家族という感じが、とても爽快であった。
そして後半は寺生まれのTさんばりの除霊対決。原作ではあそこまでお祭り騒ぎな舞台装置は立ててないようだ。誰もが「!?」となるあの舞台装置はとにかく最高であった。映画で見る価値があるということである。同時に原作小説の「比嘉姉妹シリーズ」も読んでみたくなった。
3位 カメラを止めるな!
まだこの映画について何にも情報がないという人は幸運である。予告すら見ずに、真っ先に映画館に直行すべきだ。これはもう説明するまでもないほど、今年日本を騒がした映画である。
かつて「ほしのこえ」で新海誠がほぼ一人でアニメ映画を作成し、一部界隈で大騒ぎになったが、「カメラを止めるな!」も、そのレベルの一大革命と言っていいだろう。クラウドファウンディングという手法(要するにカンパを募るのである)を使い、たったの300万円で映画を作成し、それが30億円を超える興行収入を生んだ。これが意味することは、小さなサークルのような映画団体でも、その監督に実力があれば、限界費用0で大ヒット映画を作れるということである。これは革命的なことである。
しかし勘違いしないで欲しいのだが、監督の上田慎一郎さんは、そもそもキチンとした実力ある監督だということである。たまたま今作だけが上手くいったという人ではなく、下積みで様々撮ってきて、賞もいくつか貰っている監督である。実力×機会=成功の公式だ。
2位 きっと、うまくいく
インド最高の工科大学に通う2人の秀才と、1人の天才が織りなす青春群像劇である。「秀才と天才の物語かよ、俺には関係ないな」と思うなかれ。そのあまりに普遍的で、かつ、ひと1人の人生を一転させる可能性を秘めたメッセージに、強く心を打たれるはずだ。毎年何本も映画を見る理由というのは、このような人生を通して見返すだろう一本に出会うためなのだと思わされる。
例えば受験勉強をガリガリとやって、丸暗記に近い計算が出来たり、ペラペラと学問的な定義が言えたところで、それが「頭が良い」ということなのだろうか?そのような本質的な実力を伴わない、すなわち「社会でそうやって評価するしか他にフェアな評価方法がない」基準で上手くやれたところで、現実の社会で問題を解決できる力が無ければ、「お利口さん」と舐められるだけではないだろうか。本当にそういう能力を鍛えてる場合なのだろうか?そうやって定められたことを、定められたとおりにキチンとこなせるお利口さんは、果たして複雑で多様な人生の問題や社会の問題を、えいやと解決できる能力があるのだろうか?
動物や絵が好きなのに、敷かれたレールの先に成功が待っていると信じ、機械や情報と結婚するつもりの人は、かなりいるはずだ。そんなところに幸せはないと、薄々分かっているのにも関わらずだ。自分に合わないことを無理にこなしても、精神を壊した末に、得られるのはせいぜい、そこそこの収入だけである。
インドは、遅れてやってきた日本である。学歴社会の弊害で、学歴レールから外れたものは、それ以降の人生に希望を持てず、自殺することもある。我々は、そんな価値観を一変させ、もっとゼロベースで物事を柔軟に考える力を鍛える必要がある。そんな本質を、この映画から鋭く突きつけられると良い。
1位 バーフバリ 王の凱旋
映画館で観た中で、今年はやはりこの映画がダントツであった(2位の「きっと、うまくいく」を一位にしても 良かったのだが、こちらはDVDでの鑑賞)。
主人公シヴドゥの父親である、伝説の王「バーフバリ」の物語に、上映時間のほとんどを費やす構成。すなわち主人公自体の話はほぼ無いと言って良い。だがこの構成が、むしろ主人公を引き立てる為にとても効いてくる。過去話をこれ以上正しく利用した例は他に見たことがない。背景にある物語の重要性、人に歴史ありというやつだ。
「伝説の王?俺には関係ないな」と思うなかれ。もちろん我々は、バーフバリのような偉大過ぎる人物になれはしないだろう。だが民衆は偉大な王を見て、その神々しい態度と行動に、正しく生きる姿勢を学ぶものである。
所詮「理想」だと侮るなかれ。人は理想があるからこそ、そこを目標にして自らを高めることが出来るのである。自らの中に、完璧な理想像を想定することの重要性はそこにある。「理想なんて所詮は理想、現実の厳しさには勝てないよ」と諦める態度は、結局のところ死んでいるにも等しい。
我々は、完璧な理想を実現する存在になることはできなくとも、完璧に「限りなく近い」理想なら、実現できるかもしれない。そのためには、このような完璧な王の生き様を、自らの胸にきざみつける必要があるのである。
少し熱くなってしまった。個人主義的な、ひと1人の心持ちに関わるだけの、小さい語り口だなぁと思う方に一応述べておくが、この映画はインドの神話的大叙事詩「マハーバーラタ」(摩訶婆羅多)を踏襲している。見てもらえれば分かってもらえると思うが、「小さい語り口」で収まるようなレベルではない。完全に神話である。
むしろ、1人の人間をこれだけ熱くすることのできる映画であり、しかもそれがインドで歴代最高の興行収入を達成し、世界でも300億円を超えたのだ。どれだけの人間に、このバーフバリの偉大な姿が刻み込まれただろう。例えそれがフィクションであろうと、実際に現実へ「完璧な理想像」を想定し、「それを目標に生きなければ」と決意させる力が、この映画にはあった。文句なく今年の1位である。
※実はこの映画は二作目であり、前作の「バーフバリ 伝説誕生」を観ておくと100%楽しめる。是非とも2作合わせて観ることをオススメする。
ワースト ミライの未来
ただ「良くない」と思う映画なら、他にも沢山あったが、それでは「ワースト」に捧げる意味が無いと思い、今年はこの映画を選んだ。リンクの記事を読んで貰えれば分かるかもしれないが、僕は割とこの映画を絶賛気味で書いてる。しかし文章とは裏腹に、僕自身の心はそれほど盛り上がっていなかった。
細田守監督は間違いなく実力のある監督である。しかしその実力故か、その技巧に傾き過ぎて、映画そのものとしてのカタルシスがどんどん無くなっているように思うのである。細部を見れば…例えば子供に対する行動心理学的な分析力は、確かに物凄い観察眼と描写力だと思うのだが、それを丁寧に丁寧に積み上げた所で「面白かった!感動した!」と心から言える映画にはならない。せいぜい「ふむ…丁寧な映画だったな」という辺りに留まってしまう。
細田監督はそういう意味で、今作は丁寧さを重視するあまり、かなり守りに入った印象がある。そしてどんどんそういう傾向が強くなっていっているように思う。このままでは、守りが固くなる一方の映画監督になってしまうことを、僕は危惧しているのである。日本を代表する実力のある監督が、このままの道を突き進むのは、もはや世界的な損失であると思うため、今年はこちらの作品をワーストにした。
個人的には、もっと大胆に、面白さのために丁寧さを時には捨てて、カタルシスを優先するような映画作りに挑戦しても良いのではないかと思う。
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以上、今年の観た新作・準新作映画ランキングでした。
今年は映画よりも完全に思想書や哲学書のほうにハマっており、仕事も忙しくなってきて、例年と比べ3分の1くらいしか映画を観なかった。どんどん見る映画の本数自体少なくなり、どんどん映画館でしかみなくなってきた。
だが代わりに、見る映画に殆どハズレがなくなってきていると実感する。観る前から「この映画なら大丈夫だ」とほぼ確信できるくらいに、様々な要素から判断することが出来るようになってきたのだ。決して安いとは言えない映画鑑賞料であるから、皆もせっかくなら外したくはないだろう。コツを教えよう。やはり最も重要なのは自分の好きな監督を知ることかと思う。
そして周囲に信頼できる映画好きがいるのも重要だ。プロでもいいし、アマでもいい。僕を参考にしてくれてももちろん構わない。ただし、「その人の好みが、自分に合う事」が重要だ。映画好きは様々なパターンがいて、クソ映画をあえて大好きな人もいるし、普通の審美眼じゃ何が良いのかサッパリ分からないレベルの映画を推してくるシネフィルもいるからだ。
とはいえ、ある程度の本数を重ねると、大抵の最近の映画は、ストーリーも絵作りも、どこかでみた感じ、もっとわかる人なら「古いこれこれの名作古典映画のオマージュ」とか分かるようになってしまって、それでもなお欲求を満たすには、両極端な方向に触れて行かざるを得ないようになるのも、仕方ないことではある。まるで、もっと、もっと強い酒を!というようなヤバめなスパイラルである。すなわち「まだ見た事ないもの」が、常軌を逸してないといけなくなる。
その点で、僕はまだまだ一般レベルだと信じている。この映画ランキングのミーハーさがそれを証明していると思うのだが、どうだろうか?(そうでもない?)
それではみなさん、よいお年を。
END.