「ほんもの」の思想なら、「ひとこと」になる~ Kの思索(付録と補遺)vol.119~
本物の思想を持った書き物というのは、いつも一本の強烈な主題で貫かれているものだ。そしてその主題は一言で表すことができ、読者を強烈に啓かせるものを持っている。
その他の言葉は全て、その主題への補完に集中する。
すなわち、その主題へ確信を与えたいがために、ただその目的だけのために書き重ねられ、本が厚くなっていく。
プラトンであれば、「この世界で唯一根源的な真なるものはイデアである」という主題。
カントであれば「人間の直観形式では、物自体に至ることは出来ない」という主題。
ショーペンハウアーであれば「物自体は意志である」という主題。
ニーチェであれば「意志を肯定し続け、超人に至る」という主題。
ソシュールであれば、「言語は、世界において価値あるものを区別するために発明される」という主題。
ウィトゲンシュタインであれば、「言語は、その使用活動の中でのみ真に意味づけられる」という主題。
アドラーであれば「人間の心理は全て、本人自身がそうなりたいという目的のもとに、起きている」という主題。
仏教であれば「色即是空」という主題…などなどだ。
料理研究家、土井善晴先生の著作「一汁一菜でよいという提案」が、とても素晴らしかった。
まず、タイトルの「提案」が良い味をだしている。
謙虚さと少しのユーモアが同居しており、思わず手に取ろう、読んでみようかという気持ちになる。
また、「提案」とすることで、ガチガチに守る必要もなく、時には一汁一菜でなくても良いという自由のあることが暗にわかり、軽い気持ちになる。
もしこれが「一汁一菜でよい」というタイトルだったらどうだろうか。
多くの人の脳内に「いや、良くは無い」という拒否反応が真っ先に出るだろう。
さて前回の記事である、「全てを味噌汁にぶち込め」は、実のところこの本の影響を受けて書いたものだった。
老荘的な「自然に身を任せ、自分に身を任せる」思想に、ミニマリズムが同居している。
私もその思想があるので、刺さりに刺さる本であった。
一応、料理メニュー的な内容もあるが、ごく軽い紹介程度に留まっている。
これは料理本ではない。料理に対する…いや、食というものに対する思想書である。それを示すように、殆どが文字である。
なんでもそうだが、その道一流の人の思想は面白い。
そもそもの日本人の食とはなんだったのか、その原点と本質に立ち返らせ、あらためて生活というものに真摯に向き合わせてくれることにより、生きることへの救いを与えてくれる内容であった。