Kの思索(付録と補遺)

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宗教の発生とその本質を6行で示すとこうなる~ Kの思索(付録と補遺)vol.126~

要するに宗教とは、

①この世界から本質的なものを抽象化して取り出し

②その抽象を真理的な概念へと転化し

③その概念で持って体系的論理を構築し

④その中で必ず決定的矛盾が生じるものの、非言語的である事によってのみ超克可能な超体系が存在するとし、

⑤上記の論理によって構築した超体系の真理を「経典」という教えに秘奥し、

⑥その教えを実践させることで、悟りを体験で持って得さしめる過程

といえる。

「論」と「経」の違いも、上記のことを知れば、理解が進むだろう。

論は、「〜ゆえに、〜であるから、〜せよ」という。

それに対して経は、「〜をせよ、そうすれば悟れるだろう」としかいわない。

経を論じるということは起こり得る。しかし、本質ではない。宗教はその本質として、言語的な体系を超克しているはずだからだ。

経に関しては何も語れず、経は「ただ教え通りやること」以外の一切から独立している。ただそのことのみが経なのである。

 

 

 

わたしのApexランクはシーズン8でダイヤであるが、実はCRカップを生で見たことがないのだ。

しかし切り抜きで見てわかるのは、騎士道的な面白さである。

CRは個人の実力が定量化されて、一定のポイントの中でチームを揃えなきゃならない。

それゆえ、どうしたってそのチームでの実力ダントツトップが司令塔になって、実力の劣る他を導かなきゃいけない。

チーム内実力トップの動き、連携技術自体は別にどうでもいい。だって当然のことを当然やっていて上手いんだから。言うことがないのだ。

しかし他の弱い2人をどう導くかというのは、極めて競技的な部分だ。

そしてこれもまた当然のことながら、トップがどう頑張ったって、他メンバーは先に落ちてしまう。

Aqexというゲームは、チームの一人でも落とされてしまうと勝率が殆どなくなってしまう性質を持つ。

ゆえにチーム内実力トップのものが、最後に一人残されてしまった時、それはもはや絶望なのである。

他チーム員は泣きたくなる悔しさを抱え、総大将という最後の希望に全てを託すことになる。

ここをもって、ついに騎士道が閃光する。

これまでの練習で、自分たちを圧倒的実力でもって導いてきた師が、チームの全責任を背負って、今からたった一人で戦うのである。

その中で繰り広げられる1vs3の絶望感、そして向こうの総大将との究極の技術のぶつかり合い。

ここにCRカップ特有の熱さがある。

普通の大会だと、当然ながら化け物実力のプロ同士でチームを組むので、こういう「単独で他を率いる、他を背負う」という騎士道の閃光のような熱さはあまり現れない。

 

 

 

親方的な人に仕えると「言わなくても分かれ」を求められる。逆に言えば、そうなるまでは未熟者扱いされる。とにかく、察する能力が高くなくてはならない。

同時に、余計な口数、無駄口を惜しまなければならない。

なぜ現場では口数を惜しまなきゃならないか?という問いには、キチンと理屈がある。

まず現場は基本、大きな音が鳴ってるため、声が聞きとりにくい。ゆえに神経を集中させて聞き取らないといけない。それが無駄口だと非常に煩わしい。

次に、無駄口が多いと本当に重要なことを伝えるときに、耳が馬鹿になっていることが多い。現場作業において重要なことの聞き間違いは命に関わることもあるため、無駄口に対してピリつくのである。

そして残念ながら、親方気質の人は、こういう現場特有の作法における理屈を、いちいち言語化しない。自ら悟らなければならない。

混乱を加速させる例もある。

こういう親方は、音がない環境における作業だと、めちゃくちゃ雑談をしてきたりするのだ。

その雑談に乗って、作業の手を止めると、

「馬鹿野郎おまえ、手は動かすんだよ」

と怒鳴られたりする。

要するに、素人からすれば「知るかバーカ」というような、状況ごとに異なる作法を、言語化して教えられないまま、自ら気づくまで怒鳴られて覚えるという風な「合理がある」ということだ。

実際、作業が始まると言語化してる場合じゃないことが良くある。

ゆえに現場作業では「察する能力の高さ」が重宝されるのである。