Kの思索(付録と補遺)

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学生と社会人の成果の出し方の違いとは その努力は果たして正しいか?〜Kの思索(付録と補遺)vol.16〜

友情・努力・根性から戦略・調略・策略へ

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 学生における成果の出し方と、社会人における成果の出し方は大きく異なっていることに気づきました。考えてみると当然のことだったのですが、人によっては衝撃を受けるかもしれないと思ったので、記事にして残しておくことにしました。自分なりにもこの考えには少し「後ろめたさ」を感じます。その後ろめたさを少しでも払拭するため、確固たる自分の信念とするべく、この記事を書き進めます。

 

 学生の本業は今でもなお「勉強」にあります。勉強して優秀な結果を残せれば、とりあえず社会的地位が得られます。親や先生からは認められ、友達からは尊敬され、制度からは奨学金や学費免除などで優遇されます。

 

 ということで学生は必死に勉強します。勿論将来もかかっています。結果を残せれば勝ち組だし、残せなければ負け組です。このあたりのシビアさは学生と社会人でも違いはありません。しかし、その成果の出し方が根本的に異なります。

 

 勉強というのは基本的に個人作業です。目の前の教科書でインプットし、問題集でアウトプットします。わからないところは友達に教えてもらうこともあるかもしれませんが、大部分は一人でする勉強に時間を費やすことになります。成果の出し方も単純であり、勉強するほかありません。問題を解いて解いて解きまくるしかありません。

 

 よって学生時代に成果が出せるかどうかは、自分の努力、根性、そして時たま友情のようなものが大きく左右することになります。ある意味単純です。ほぼ全て自己責任ということです。(一部の地頭が良い、遊びも勉強も優秀な天才は除いて)大部分のガリ勉で学歴を獲得したインテリほど、この成果の出し方を社会人でも適用してしまいます。そしてそれが全く通用しないことに気づきます。もしくは気づかないまま「この会社の体制は自分とは合わない」として、辞めてしまいます。

 

 社会人の成果とは何か?会社として、社会に利益をもたらすことです。そしてそのための仕事は上司から降りてくることになります。「このひと、頭が悪いんじゃないのか」と思えるような指示が飛んでくることもあるでしょう。しかしいまだ日本の組織は大企業ほど縦割りであり、風通しも良くないので、仕方なく部下は言われるままに仕事をします。ただし懸命に努力しながら。

 

 しかし、いくら努力したところで、方向が間違っていれば成果など出るわけがありません。明らかに間違っていると分かりながら、それでも上司の指示だし、怒られるもの嫌だから、とりあえず指示通り一生懸命やってみることでしょう。一生懸命やることで学生の頃は成果をだしてきたのですから。一生懸命やらなければそもそも道は開かれないという長年学生をやって得た方法論があるわけです。アイデンティティにまで膨れ上がったこの方法論はなかなか崩せるものではありません。そして最初の予想通り、方向性が間違っていることが明らかになり、成果は残せず、努力は徒労となるのです。

 

 要するに、社会人としての仕事には個人作業が殆どないのです。学生時代は勉強という個人作業が成果に直結していましたが、社会人ではその方法論は資格取得くらいしか役に立たないのです。そのため、社会人として成果を残すためには、他人をどう動かすかが最も重要になってきます。この意味で、社会人としては戦略、調略、策略が非常に重要になるのです。

 

 上記したとおり、上司の指示の方向性が間違っているなら成果は出せません。となれば、成果が出せる方向に上司を誘導するしかありません。そのためには上司の上司を使う必要もあるかもしれないですし、他部署への根回しをしておく必要もあるかもしれません。時にはブラフをかますことも求められるかもしれないし、脅しに近い交渉を仕掛けるしかないこともあるかもしれません。全て他人を動かす能力です。最も有効な方法は、上司の強みを把握することです。そしてその強みを発揮するように誘導することです。

 

 部下としては、上司からの指示は一度全て疑ってみることです。本当にそれが成果をだせるものなのか?また自分に都合よく解釈していないか?部下は往々にして、自分の聞きたいように指示を聞くものです。

 

 究極系は、仕事を個人作業にまで持っていくことです。つまり、自分の考えがダイレクトに仕事の成果に直結するように持っていくこと。いうまでもなく、自分が上司の立場に立った時は、既にそうなっていなければなりません。インテリジェンスが本当の意味で発揮されるのはここに至った時なのです。

 

 上司からの指示は、聞くことには聞くけども、一切鵜呑みにはしないことです。所詮それは他人の考えであり、自分にとっては張りぼてなのだから、指示通りやったつもりが上司の意向に全然そぐわず怒られるということが起こるのです。

 

 だから重要なのは、上司からの指示の本質を理解することです。この人はどんな目的があって、どんな成果を出してほしいのか。重要なのはそれだけです。そしてその成果の出し方を、自分の頭で考える。自分の頭でしっかり考えたことには一本の筋があります。一を聞いて十を理解すると言われる人たちがこれです。

 

 自分がしっかり考えて導き出した成果の出し方が、上司が指示したやり方と違うかもしれない思っても、自分の考えを信じるべきです。筋さえあれば、上司に詰められても喧嘩できます。認められなくても自分のやり方を貫いたのだから後悔はないはずです。自分の考えを貫いて、結果として上司の指示のほうが正しかったとしても、最初から指示を鵜呑みにして成功するより、はるかに自分のためになります。なぜなら自分の考えたやり方では何故ダメだったのかをPDCAとして回せるからです。エジソンもこんなことをいいました。「私は失敗したことがない。ただ一万通りの上手くいかない方法を見つけただけだ。」

 

 このことを理解すると、仕事の仕方が変わってきます。まず自分で明らかに不必要だと思う仕事は遠慮なく断れるようになります。やれよ!と言われても、逆になんでやらなきゃいけないんですか!と断れるようになります。自分の考えに筋を持っている人はこうも強いのです。

 

 このような目線で見ていくと、同時に、成果の残せない仕事に一生懸命になっている人が見えてきます。例えば必死になって社内の書類をぐるぐる回しているような人。上記したように会社の価値は社会に利益をもたらすことなのだから、社内のシステムをグルグル回すことが成果に繋がることは殆どないです。成果は会社の内にあるのではなく、会社の外にあります。多くの場合、社内の書類回しは価値を生み出しているのではなく、現状を維持するものにすぎないのです。

 

 そしてそれら成果に一切直結しない仕事は、断固とした意志をもって断らない限り、無限に増えます。全ての時間は他人に取られます。そして本当に重要な仕事が来た時に、それら不要な仕事に邪魔されます。だから決して「良い人」になってはいけません。周りの目を気にして、安易に仕事を受け入れてはいけません。社会人にとって、「良い人」と「都合よく利用できる人」は同義だからです。

 

 しかしこんなやり方、考え方で人間関係は大丈夫なのかと思われるかもしれなません。しかし社会人にとって良好な人間関係を築くには、仕事が出来るかどうかが全てです。それ以外の愛想や和やかな会話などは、長期的に見るとただの取り繕いに過ぎません。

 

 徒労に終わる仕事を察知する能力を高めなければなりません。そしてそれらを避けるための戦略・調略・策略を常に考えていなければなりません。「不要な努力をしない努力」をしなければなりません。「やることリスト」よりも「やらないことリスト」を考えなければなりません。ここにおいて、学生のような愚直な努力の仕方は、身を滅ぼすことが明らかになります。

 

 組織全体が腐っていて、成果の出る仕事が見つからない場合は、どう有給を取るかを考えるのも良いかもしれません。その結果、他人に恨まれようとかまわないのです。どうせ成果が出ないのなら、有給で得た自由な時間を、自分の将来に投資するほうがよっぽどマシですから。自分の人生は自分で考えて自分で動かすもの。組織の奴隷になって、自分の成長の機会を奪われてはいけません。さぁ、これからは勇気をもって、自分の意志に従うことです。