Kの思索(付録と補遺)

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【大幅追記】人生史上最高のゲーム「アウターワイルズ」を語る~ Kの思索(付録と補遺)vol.132~

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アウターワイルズはおそらく、私の人生史上におけるベストゲームと言っても良い。


PS4においては2019年10月に発売され、私はそこからしばらくしてプレイした。


私の何が刺激されたかは後に書くとして、ともかくも衝撃的であった。


そこから時を経て2021年9月、最初で最後とされるDLCが配信された。最近このDLCをクリアし、いよいよ記事を書かねばなるまいと思って、いま筆を取るにいたる。


いきなりだが、私的な話をしたい。私は「宇宙」が好きである。


3歳の頃、親が学研の宇宙図鑑のようなものを私に買い与えた。なぜ与えたかは今となっては定かでは無い。微かに残る記憶では、私が誕生日プレゼントとして親にねだったはずである。


そうでなければ、宇宙に関する興味という点で縁もゆかりもない私の親が、なぜ私に宇宙図鑑を買ったかの説明がつかない(となると、私は3歳の頃には親とそのくらいの会話が出来、何故か宇宙に興味をもっていたことになる)。


そうすると「なぜ私が親に宇宙図鑑をねだったのか。そもそもそこの興味の源泉は何なのか」という話になるが、そこからの記憶は全くないのである。全くの謎に包まれており、ある意味では神秘的な感が無いでもない。


ともかくも、親から宇宙図鑑を貰った私は、まさに本に穴が開くほど読み耽った。子供の脅威的な集中力というものであろう。図鑑の内容を暗誦できるようになり、小学生の頃には「宇宙のことなら彼に聞け」と言われるようになった。


そのまま宇宙への興味は継続し、大学の研究室では宇宙物理を専攻した。さらに研究者になろうとして院にまで行った。しかし諸般の事情により修士号で民間企業へ就職した。


私の人生を大きく占めた宇宙という分野であるが、何にそこまで興味を抱いたのか。一言で言えば「起源への探究心」というものであろう。


もちろんこの本質は、3歳当時の私には自覚が無い。唯一ある自覚は、この地球からかけ離れた距離に、馬鹿げた大きさの星が、死確実の環境で在るということへの恐怖だけである。そしてその恐怖が好奇心に直結した。それだけであった。


その中でも、最も私が興味を持ったのが「ビックバン」であった。簡単に言えば、宇宙創世における最初期の大爆発である。


137億年前、宇宙は高密度かつ超高温の火の玉であったとするこの説は、1947年にジョージ・ガモフによって提唱され、後に「ビッグバン理論」と呼ばれた。60年代に入ってから、その根拠となる「宇宙背景放射」が観測されるようになって定説となった。


ともかくもこの話は、私を捉えて離さなかった。「宇宙ハカセ」であった小学生の私は、トモダチに宇宙のことを話す際、まずここから話さなくてはならなかったために、必然的なこととして、最も印象づけられることになったのである。


ビックバン時の温度というものは、太陽の温度とは比べ物にならない。太陽で最も熱いのはその中心核であり、1600万℃ と言われているが、それに対してビックバンは100兆から1000兆℃であったといわれる。この温度になると、もはや原子はその状態を保持できず、素粒子に分解されてしまう。宇宙的恐怖が好奇心に変換されていた私は、このような話をするとき、もっともイキイキとしていた。


だが私の脳は、どうも常に「なぜ」ということを突き詰めて考えてしまう性質を持っているらしい。ビックバンのことを語るにつれて、そのビックバンはそもそも「なぜ」起きたのか、ということが気になってきた。


そのことで私は「インフレーション理論」を知ることになった。日本の物理学者である佐藤勝彦アメリカの物理学者グースらが提唱した理論である。宇宙創生の10のマイナス36乗秒後から10のマイナス34乗秒後までの間に空間が急膨張し、その後、真空のエネルギーが熱となって火の玉となり、ビッグバンを引き起こしたとする説である。


ではこのインフレーションはまた「なぜ」起きたのか…これが現代物理学の最重要課題となっている。気になる方は「超弦理論」や「ループ量子重力理論」などのワードで、適宜、本を手に取っていただきたい。


さて、このような学問的な話をするのが本来の目的ではない。何が言いたいかというと、起源への探究心は、更なる起源への探求に向かうということである。


そしてまた、なぜ、私は起源を探究したくなるのか。それは、私が今ここにいる理由を知りたいからである。人生に何か観ずることの多い人間には、この気が溢れてしまう。私がここにいる理由がないとすれば、人生の意味は…そして、この世界そのものは、無意味としなければならない。


無論、無意味なのである。しかし、「それが無意味である意味(理由)」を知らなければ「納得」できないではないか。無意味であることを納得し、自らそれを意味づけるという止揚が行われることによってこそ、人生において決定的な「使命」という思想が浮かび上がって来るのである。そこまで到達してようやく、生まれながらにニヒリズムルサンチマンを抱えた人間でも、「生きる」ということに熱を帯びることが可能となるのである。


思想哲学的な話になりすぎた。

単純にいえば、起源の探求というのは、「歴史」を知ることに他ならない。私の場合は、歴史を知ることで、自らの生の意味を解き明かすのが目的であった。


だが、私は日本の歴史や世界の歴史に興味が向く前に、それを無視するように飛び越えて、一直線に宇宙の起源へ直進する子供であったようである。「細かい分析的な枝葉はどうでもよく、むしろ概略を聞いて、最も重要な本質を一直線に理解したい」という、いわば拙速な傾向のある私の性格そのものであると、笑うことが出来よう。


アウターワイルズのことである。

元々は、本作のクリエイティブディレクターであるAlex Beachum(以下、アレックスと呼ぶ)が、南カリフォルニア大学映画芸術学部在学中の2012年に始めた「修士論文を兼ねた学生プロジェクト」であった。高度に学問的かつ芸術的な出発点であったことになる。


アレックスは、私と同類の人物であったようである。つまり宇宙に興味を持った上で、その興味の源泉に「恐怖」をおいていた。そのことは「人為の及ばない宇宙いう環境に対する探検精神を、ゲームの形で表現したかった」と語っていることからもわかる。


上記のアレックスのいう宇宙的恐怖は、アウターワイルズをプレイすればすぐにわかる。全くもって未知の環境の惑星に、申し訳程度の宇宙服で突っ込み、探検をしなければならない。


中心にブラックホールがあって惑星そのものが崩れつつあるある「脆い空洞」、

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巨大な竜巻が大陸そのものを巻き上げている「巨人の大海」、

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一方の惑星にもう一方の惑星から砂時計のように灰が降り注いでいる「灰の双子星」、

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惑星全体を謎の棘が覆う「闇のイバラ」、

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最外周軌道を周回する不気味な彗星「侵入者」等である。

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そのような宇宙的恐怖の極め付けとして、本作では22分後に太陽が超新星爆発を引き起こす。


超新星爆発とは、ある一定の大きさの恒星が、その寿命を迎えた時に起こす大爆発のことである。スーパーノヴァとも呼ばれる。


太陽のような恒星は、主な構成要素である水素とヘリウムのガスを、その巨大な重力でもって中心核に向けて落とし込もうとするが、一方で核融合による超高熱でもって反対に膨張しようとするため、いわばその斥力と引力が釣り合った状態にある。


恒星が寿命を迎えるというのはすなわち、核融合における元素合成が終わりを迎えるということである。つまり核融合反応が起こらなくなる。


そのことで、熱による斥力が弱まって、重力優位になる。そうすると核融合によって作られた鉄は、一気に中心核へ落ち込むことになる。その鉄と中心核の衝突の爆発的なエネルギーが衝撃波を発生させ、その衝撃波の内部循環ともいうべき機構で圧倒的な再加熱を呼び、最終的には超新星爆発を引き起こすのである。


驚くべきは、上記のような機構が、アウターワイルズにおいて再現されているということである。ただ太陽が爆発するのではなく、その色が黄色から徐々に赤黒く変わりつつ膨らみ(この色の変化は温度が下がっている証拠である。この段階を赤色巨星と呼ぶ)、そこから一度収縮して、爆発するのである。


このことで、私のこのゲームにおける信頼は揺るがないものとなった。よほど信念をもって宇宙的恐怖を再現しようとしない限りは、こういった学問的知見を踏まえた演出は出来ないだろう。


この超新星爆発は、基本的にその星系ごと滅ぼすほどの威力を持つ。一般的には、原爆のエネルギーの10の30「乗」倍とも言われる。つまり22分後にこのゲームの主人公は必ず死ぬ。


しかし、主人公は22分前に目覚めることになる。そしてまた22分後に死ぬ。この死のループを繰り返すことになる。その理由が何か(どうも我々の前に存在していた古代知的生命体が何かをしたらしい…)ということを解き明かすのが、このゲームの主目的である。


つまり、我々の前に存在していた古代知識生命体が何をしたのかという歴史を解き明かすことで、主人公がなぜこのループ環境に置かれたのか、もとい、なぜイマココに私が生きているのか、ということを知ることになるのである。

 

これは上述してきた私という人間の嗜好と、寸分のズレなく一致することが分かっていただけるだろう。つまり、宇宙的恐怖と、歴史と、起源と、私の存在する意味である。


このゲームが素晴らしいのは、そういった歴史の探究が、古代知識生命体に留まらず、宇宙そのものの誕生起源まで向かうことである。


その過程で、どうしても量子力学に触れなければならない。このゲームは、その量子力学すら取り入れている。圧倒されるほかない。


量子とは何かといえば、波と粒子の性質を併せ持つ、非常にミクロな物質を指す。古典力学と呼ばれる体系を確立したアイザックニュートンの時代にあっては、物質は粒子か、波かのどちらかであった。しかし現代においては、光などは波と粒子の両方の性質を取ることがわかっており、そのような性質をもつ物質を、どう表現するかとなって、「量子」と命名したのである。(英語表記では「quantum」であり、物理量の最小単位を表す)


ではそのような量子のふるまいというのは、どのようなものか。これを記述する有名な方程式がエルヴィン・シュレディンガーにおけるシュレディンガー方程式である。

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初学者においては、シュレディンガー量子力学の創始と捉えても差し支えない(一般層においては、「シュレディンガーの猫」の方が耳馴染みがあるだろう)。


シュレディンガー方程式は、端的に言えば、「ミクロな量子的性質を持つ物質の力学は、存在確率の波動関数として記述される」と宣言する。


要するに、ミクロな世界では、物質の存在する「位置」は、確率でしか決まらないというのである。しかしこれは我々の直観と反する。


なぜと言って、「そこにあるものは、常に、そこにある」ではないか。ある時には別の場所にあって、またある時には別の場所にあるような物質は、あり得ないだろう。それが生きていない限りは。


しかし量子力学は、ミクロな世界ではそうではない!と高々に宣言するのである。

 

例えば電子は、ある時にはある場所にいて、ある時には別の場所にいる。そもそも特定の場所にいるということはなく、そしてどこにいるかというのは波動関数で記述される確率の期待値でしか、「表しようがない」と言うのである。


よって高校化学で記述されるような、原子核を周回するような電子といった図は間違いであり、本来は、原子核を雲のように確率の分布で覆う電子像こそが正しいのである(実際は、電子の軌道が離散的な値を取ることから、雲×バームクーヘンという感じが近いのであるが、この辺りから数式の表現を実体として観ずることに無理が生じてくる)。


では何がその位置を、確率から解き放って「確定」させる要因かと言えば、それは我々の「観測」であると言う。


「二重スリット実験」というものを検索していただきたい。この実験は、量子電磁気学を創始したファインマンをして「量子力学の真髄」と言わしめたものである。

我々の「観測」こそが、この世界で我々が得られる情報に影響を与えてしまう、という実験なのである。


我々が何かを観測することが、この世界を、我々に対して意味付ける(確定させる)と詩的に言い換えるならば、この世界は一体何なのか。何者によって形作られているのかという、神秘に吸い込まれてしまうだろう。


そのような直観と反する量子の振る舞いを、このアウターワイルズは直観的に理解させる。これだけでも素晴らしいのに、その上、その量子的振る舞いを利用した謎解きまで用意するのである。


プレイヤーはこのような世界観の中、未知と死が待ち受ける惑星を縦横無尽に駆け巡り、古代人が何をしたのかということを解き明かしていくことになる。時系列などは明示されないので、それを整理することも楽しみの一つである。


この記事を読んで少しでも興味を持った読者は、是非アウターワイルズをプレイしていただきたい。謎解きは難易度が高いが、解けた時のカタルシスは表現し難いほどのものである。


なぜ我々がここにいるのか、この宇宙の起源は何なのか、そういった好奇心と哲学に、このゲームは体験を持って答えてくれる。上記の理由によって、本作は私の人生史上におけるベストゲームと言えるのであった。

 

【大幅追記】

我ながら、アウターワイルズに関する内容よりも、宇宙に関する内容にかなりの文量を割いているなぁと、読み返しつつ思った。


にも関わらず、本記事は好評であった。読者の希望にいっそう答えるために、大幅追記したいと思う。


アウターワイルズでは、22分前に時間が巻き戻る。そのことについての宇宙物理的視点を書こうとしている。


そのためには、相対性理論のことを知らなければならない。


相対性理論は、ご存知の通りアルベルトアインシュタインが創始した。

元々、彼の専門は電磁気学であった。例えば、1921年に「光量子仮説と光電効果」の論文でノーベル賞を貰っている。要するに、光の専門家でもあった。


多少物理に詳しい人ならば、光の速度が約30万km/sで不変であることはご存知だろう。

ここでいう不変というのは、例えば止まっている状態から光を発しても、猛スピードで爆走するロケットから光を発しても、光の速度は一定ということである。これを「光速度不変の原理」という。


これは普通の物質では起こり得ない。

例えば100km/sで走る車から、100 km/sで野球ボールを射出すれば、止まっている人間から見れば、その野球ボールは200km/sの速度を伴っている。

それなのに光の場合はいつも、30万km/sで不変であると言うのだ。


この光速度不変の原理は、「マイケルソン・モーリーの実験」で確かめられた。光が速すぎて、正確に速度の変化を測定できないというわけでは、決してない。

 

本当に不変なのである。

 

なおこれは「原理」であるために、それが何故かという起源は、問われない。物理学は、いつもこの原理からまず出発するのである。

ともかくも、光の速度は不変である。アインシュタインは、これが何を意味するかを考えた。


我々に観測される光の速度が不変である。これは普通の物質においては常識に反する考え方である。しかしこれを事実だと認めなければならない。マイケルソン・モーリーの実験は間違っていない。


そうすると、逆に我々の現実と辻褄を合わせるためには、我々における「何か」が、一方では変化していなければならない。そうでなければ、バランスが取れないであろう。ではその「何か」とはなんなのか。


速度とは、単位が示すようにkm/sで表される。つまり距離と時間の関係である。すでに有名になってしまっているとおり、相対性理論では、この距離と時間が適宜に伸び縮みするというのである。


理論的な細々した話は省くとして、結論からもっとも重要なことだけ述べる。

たとえば、新幹線に乗っている人の時間は、止まっている人の時間に比べて、遅れている。

ロケットに乗っている人の時間は、新幹線に乗っている人に比べて、遅れている。

つまり、その人のいる「系」が、高速で移動するほどに、その人の時間は遅れることになる。


これが、アインシュタインの「前期」相対性理論の主旨であり、「特殊相対論」と言われる。


理研究はいつも、単純な状態から複雑な状態へ、すなわちよりリアルな状態へ、歩みを進める。

「特殊相対論」は単純であった。これをよりリアルに近づけるため、真っ先に考えなければならないのは、重力の影響であった。

(というよりも、これまで等速度運動を考えたので、次に加速度運動を考えよう、というのが本来的な歴史なのであるが、ここでは細に入りすぎることを避ける)


アインシュタインは苦戦した。苦戦して、「後期」相対性理論である「一般相対論」を構築した。驚くべきことに、10年の月日が費やされていた。


大学生当時の私の実感を余談として語りたい。ヘタをすると特殊相対論は、光速度不変の原理さえ前提として飲み込めてしまえば、高校生の数学でも理解できてしまう難易度であると感じた。


しかし一般相対論はそれに比べて、まさに化け物と言っていい。よく「10年足らず」でこれを完成させられたなと思ったものである。

途中、明らかに神が捧げたとしか言いようのない奇跡のような閃きのステップもあって、驚嘆というほかなかった。


ともかくも一般相対論は完成した。このことで、重力の正体がより根本的に明らかになった。重力とは、「空間」と「時間」の曲がりのことであった。重力の大きい星ほど、その周りの時間と空間が、「曲がる」のである。曲がるというのは、特殊相対論における距離と時間の伸び縮み、まさにその拡張といったイメージを持って貰えば良い。


物理における体系的な論の中で、最も重要なのものは何か。

それは「基礎方程式」である。

ニュートン力学であれば、運動方程式

電磁気学であれば、マクスウェル方程式

量子力学であれば、上で紹介したシュレディンガー方程式

 

そして一般相対論においては「アインシュタイン方程式」である。

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アインシュタイン方程式は、見た目はこのように非常にスッキリしている。しかしその中身は、数学的に「10元連立2階非線形偏微分方程式」と分類されるものであり、とにかく化け物だと認識してもらって差し支えない。

こんな感じだ。(うわっ!と思って貰いたいだけであって、当然この詳しい説明はしない。)

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要するに、容易に解けるものでない。しかし人間は食らいつくものである。これをまず最も単純な状況下において解いてみようと思ったのが、カール・シュバルツシルトである。

 

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そしてこのシュバルツシルトが導いたアインシュタイン方程式の特殊(ここではもっとも単純な状況下における)解が、ブラックホールを予言することになったのである。

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特異点というワードがそれだと思って貰えば良い。


ご存知の通り、ブラックホールは無限大の重力を持つために、その周りの時空間は極限的に曲がっている。この極限的曲がりにあって、光は落ち込んでいくばかりであり、出られなくなる。ゆえに、ただ真っ黒な、穴なのである。


だが、周りの空間を歪めているために、光の通り道まで曲げられ、そのためブラックホールの周りは、まるでレンズ越しに景色を見ているように、歪むことになる。これを相対論の分野において「重力レンズ効果」と呼ぶ。


さぁ、ようやくここまできた。


なんとアウターワイルズは、この重力レンズ効果まで再現しているである!

 

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まさに宇宙的恐怖を再現しようとするクリエイターの信念が感じられるであろう。しかもプレイすれば分かる通り、主人公が移動することで、景色の歪みの見え方も変わることから、実際の重力レンズ効果のプログラムを取り入れているのではないか。


ここでブラックホールに極限まで近づいたらどうなるのかを考えてみよう。

一般相対論においては重力の強い物体に近づくほど、時間が曲がるのであった。この時間が曲がるというのは要するに、「時間が遅れる」と変換していただいて構わない。


だからもし、ある人がブラックホールに近づき続けるとすれば、彼の時間はどんどん遅れていき、ついには、時間の進みが停止するに至るだろう。


相対論の説明では時空図というものをよく用いる。当然ながら未来から過去には行けない。過去から現在、そして未来という流れを崩すことが出来ない。

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しかしこれはアウターワイルズという、ゲームである。ブラックホールからホワイトホールにつながっているという妄想も許されて良い。


ブラックホールに近づくにつれ、本来は未来に向けて進んでいる時間が停止に向かうというのなら…この時空図において、未来の時間的広がりが失われていくとするなら。


そしてついに時間が停止し、なおもまだその先、すなわちホワイトホールがあっても良いという妄想が許されるとするなら…それを超えた瞬間、マイナスの時間、すなわち未来から過去への時間、ひいては因果の逆転が生じるのではないか。


ノマイは灰の双子性プロジェクトで、この現象を利用したのである。ただし、発見当初は、そのマイナス時間が短すぎた。どうにかその時間を伸ばすことができまいか。


いよいよ最終盤である。

前言を撤回するようで申し訳ないのだが、「重力が時空間を曲げる」という理解は、アインシュタイン方程式の説明として、厳密には正しくない。


厳密にはエネルギーが(さらに厳密に厳密を重ねて言えばエネルギー運動量テンソルが)、時空間を曲げるのである。

 

質量が重力を呼び、重力は時空間の曲がりであるということはこれまで述べてきた。

一方で、質量とエネルギーが等価であるという、これまたアインシュタインの有名な以下の式がある。

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よって、エネルギーもまた、時空間を曲げることになるのである。


つまりアインシュタイン方程式は、エネルギーさえあれば、時空間を曲げることが可能だというのである。つまりこうだ!

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ノマイは、灰の双子星プロジェクトを完遂させるためにはマイナス時間を伸ばす必要があった。


つまりマイナス時間を遅らせる(早まらせる?)ためには、それに応じた莫大なエネルギーを注ぐことで、アインシュタイン方程式の、時空曲がりを発生させれば良い。


この莫大なエネルギーが、超新星爆発だったのであり、その媒介がワープコアだったのである。

これにより、灰の双子星プロジェクトが完成するはずだったのだ-ーこれをもって、追記の筆を置くことにしたい。

全くもって、ハードSF的というほかない。


多くのコメントであった「ほとんど宇宙物理の学問的なことを語っているのに、アウターワイルズをやっていたおかげで、スラスラ読める」という感想は、このような記事を書いている私にとっての最高の賛辞である。


この追記を通して、相対性理論へのワクワクを感じていただけたなら、筆者何よりの喜びである。