「さよならの朝に約束の花をかざろう」「銀と金」感想~ Kの思索(付録と補遺)vol.66~
「あの花」「ここさけ」脚本家の岡田麿里初監督作品。上記二作に続いてテーマは「別れ」。しかし今作は異世界ものである。歳をとらない民族が、歳を取る民族と関わることで、時が経過することの残酷さと別れ、そして命が継がれていくことの尊さを克明に描き出す。
どうもこの時間の乖離というのは昨今人気のテーマになっている。当然ながら新海誠監督の「君の名は」「秒速五センチメートル」、そして、細田守監督の「時をかける少女」、アニメでは「まどかマギカ」や「シュタインズゲート」等等。探せばもっとたくさん出てくるだろう。
どうして僕らはこんなにも時間の断絶に切なさを覚えるのだろうか。実際上記したアニメで描かれる時間の断絶は、現実的には起こり得ないものだ。とはいえ、みな現実でも似たような不可逆的な断絶を味わっている。言い換えるならば、二度と元に戻らない別れを味わっているだろう。フィクションで描かれる時間の断絶というのは、それを浮き彫りにする一つの材料に過ぎない。
今作も、時間の経過とともに、命が続くものと命が終わるものの断絶、別れを描き出す。それは命あるものの宿命として、必ず何処かで相対する苦難である。では希望はどこにあるかというと、また続く命に他ならない。今作では、命が永遠である民を描くことで、永遠に何度となく別れを経験しなければならない苦難、そして幾度となく命が紡がれることの清福、その流転が神々しく描かれている。
そのような普遍的テーマが美麗な絵と感動的なBGMで語られれば、それはもう涙が出るというものかもしれない。しかし個人的には、少しウェットに過ぎるところがあるとも思うのだった。
「銀と金」
漫画家「福本伸行」の最高傑作と呼ばれることも多い「銀と金」を今更ながら読んだ。
テーマは「金」「社会」「正義と悪」。この社会がどのような仕組みで成り立っているかを綺麗事抜きで正面から語っているのがよい。何故多くの場合、善人が苦しみ、悪人が得をして金を得るのか。その理由が分かりやすく描かれている。
悪や策略をもってしなければ、この世界では決定的な権力を持つことはない。だが悪や策略を用いることは同時に、何らかのリスクを取るということである。そのリスクは常に増大する。成功度とリスクは比例して、いつのまにか自らの人生や命にまで届く。そのような仕方で登りつめた結果、いつかこれまでの全てをひっくり返されるような大破滅が待っているかもしれない。だが権力を持つものは、その歩みを止めることは許されないのだ。
初めはみな悪を討つため、正義の名の下に悪を行使する。しかし権力を増すと、もうその行為の悪辣さは「正義の名の下に」などと呼べる代物ではなくなるものだ。まさにただの悪人になるのである。そして彼はいつか、どこかの誰かに「正義の名の下に」倒されるのである。
だがそのような宿命を、それでいてなお、完全に肯定するのが福本作品の漢臭くて熱いところなのである。そういう意味では、逆説的だが、彼の視点は最もピュア、「純」であると言える。
なぜか?リスクヘッジや正義や悪だとかをごちゃごちゃ考えず、「まず自分が勝つことを考えろ」というメッセージだからだ。とにかくあらゆる手段・策略を駆使して死ぬ気で生きる、その行為・熱だけが本質なのだ。その他一切は不純物なのである。
END.