Kの思索(付録と補遺)

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2022年に観た映画ベストランキングトップ6(12/30、大幅加筆およびランキング変動)

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※この記事は12/30に見たある映画の影響により大幅加筆され、ランキングも変動しました。

 

長らく更新が止まってしまっていた。さらっと生存報告をすればまぁ2022年は色々旅行やライブに行きまくってました。函館、仙台、名古屋、東京どれも楽しかった。ヨルシカも素晴らしかったし凛として時雨も圧倒されたしBUMPのライブハウスツアーに参戦できたのは色んな意味で過去の総決算という感じだった(画像はBUMPライブの時のもの)。

 

さて映画ベストくらいはやっておかねばならないと思い久しぶりに筆を取った。あくまで2022年に観た映画から選ぶベストであって公開日はそれ以前ということもある。まず観た映画全てを以下に示しておく。

 

スパイダーマンノーウェイホーム

マグリナント

アルキメデスの大戦

るろうに剣心ザビギニング

バットマン

シンウルトラマン

トップガンマーベリック

アイの歌声を聴かせて

浅草キッド

オカルトの森へようこそ

ハイローザワーストクロ

さかなの子

二郎は鮨の夢を見る

花束みたいな恋をした

ヘルドックス

RRR

犯罪都市2

すずめの戸締り

12/30 鑑賞映画

 

全盛期に比べると随分観る数が減ったものだと思う。さて前置きが長くなった。それではさっそく6位から順に発表していくことにする。

 

六位 二郎は鮨の夢を見る

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あらすじ一言解説「80年寿司握り続けた結果wwwww」

すきやばし次郎」ーー寿司好きなら知らない者はいない銀座にかまえる超有名店に密着したドキュメンタリー。

予約は困難であり予約できたとしても一食6万円は覚悟しなければならない。そして30分くらいでサクッと食事を終わらなければならない。この価格クラスでこの回転速度というのは普通あり得ない。「寿司は出された瞬間が最も美味しい」というこだわりの文化ゆえだ。それでいてミシュラン三つ星を当たり前のように毎年取っており海外知名度も凄まじい。

だが何よりも驚嘆すべきは店主の小野二郎(現在97歳)が今なお現役でありカウンターで寿司を握り続けている事である。

人生ほぼ全てが寿司に貫徹された男から発せられる言葉は何もかもが哲学的で含蓄深く、鮨のことを語っているにもかかわらず人生全般に共通する名言の連続である。

畢竟、物事というのは極めれば全てに共通する何事かを見出すものらしい。

そして本質を浮き彫りにするとはそれ以外の全てを削ぎ落としてシンプルに向かうことであると言えるだろう。

 

五位 HiGH&LOW THE WORST X

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あらすじ一言解説「他校の奴らに仲間がやられたので殴り込みに行きます」

感想いくぞテメェら。あらすじの通り(というかそれだけ)の映画である。いやだがそれで良いのだ。いわゆる「ハイロー」シリーズの最新作はいつもと変わらない良さであった。あまりに多すぎるキャラクター、あまりに癖が強い登場人物の性格。それらがあまりにシンプルで王道で水戸黄門のように様式化されたストーリーに乗る事で見事に纏められる。アクションは現状の邦画の中ではダントツに抜きん出ており大乱闘でありながらも無茶苦茶なだけで終わっていない。

最高峰のエンタメというのはデタラメの中の深層に土台として揺るぎない秩序があるものなのだ。

 

四位 すずめの戸締り

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あらすじ一言解説「仙台まで行ってきます」

新海誠監督は「君の名は」を契機に「新海誠的な作家性」のほとんどを棄却し観客のニーズに寄り添うようになった。そのことは過去の記事でも繰り返し語ってきたので今は改めて説明しないが万人受けしない作家性を棄却したが故に大衆受けするようになり今や国民的に知られた監督となった。(もちろん新海自ら棄却しにいったのではなく周りの優秀な部下が「この結末はダメだ」等々と新海性の撤廃を諭した結果である。)

そういった背景を持つ監督の最新作は、ほしのこえ秒速5センチメートルを知っている人ならば「あの新海誠がこれを作ったのか?」と驚くほどの成熟ぶりを見せている。新海の本来の作家性はさらに進んだ撤廃を見せており劇中歌やポエトリーも流れない。テーマもメッセージに汎用性があり本質は震災、人と人との関わりということであり、それらを九州から仙台までの旅を通じたロードムービーという形で描く(そしてその中にある青春恋愛物語はもはや添え物に過ぎなくなった。)。

細田守庵野秀明宮崎駿にも共通するが、アニメーター監督というのは若かりし頃が如何に尖っていようと歳を重ねるにつれ汎用性およびメッセージ性が高い物語を描きたくなるという境地に至るものらしい。本作がジブリ的と呼ばれるのも別にジブリを目指しているからではなく作家というものが歳をとるとジブリ的にならざるを得ないということなのだろう。

 

三位 オカルトの森へようこそ

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あらすじ一言解説「オカルトの森へようこそ」

白石晃士監督の世界観が煮詰まって暴走して爆発したような本作は「傑作」である。

全編ワンカット(風)で撮影されたノンフィクションドキュメンタリー(風ですらない)は、いつものことながら我々ファンを「!?」の連打で打ちのめしてくれる。

リングや呪怨はホラーに「キャラクター」という存在を与え、それが長い年月をかけてJホラーに本来不要であったキャラクターの必要性をもたらすことで洋画ホラーナイズドされ、しかもそのキャラクターは使い古されるうちにマスコット化していくことで元々のJホラーの「根源的恐怖」という醍醐味を根底からぶち壊すという最悪の影響を後世に生み出した(もちろんそうでないという見方もある。「お岩さん」「口裂け女」などの例は尽きないからだ。しかしそれらはむしろ「妖怪」の類であり、どちらかと言えばホラーというよりもおとぎ話もしくは本来の狙いからいけば寓話に分類されるであろう)。

そういったこと全てに対し白石監督は「貞子vs伽耶子」で終止符を打ったつもりであったろう。あの映画の本質はそういう意味全てがこもった殴り合いの喧嘩であった。そしてそのスクラップされた荒野にこれからの新たなJホラーを立脚しようとしている。すなわち諸悪の根源であるキャラクターをあえて押し出し暴走させ喧嘩の装置にするということである。それはもはやJホラーとは全くいえない「白石晃士ユニバース」というジャンルである。

まだまだ知名度が低く新作が公開されるたびに大衆から低評価されてしまう白石監督だが全くその評価は当たっていない。分かる人には思わず号泣してしまうほどにそのメッセージを解らせにくる天才であり、そもそも天才は初期から大衆受け出来ないことをもって天才なのである。

 

二位 花束みたいな恋をした

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あらすじ一言解説「サブカルカップルの日本版ブルーバレンタイン

当時映画館で予告を見た時点では「あーはいはい恋空みたいなやつね」とたかを括っており全く観る気がせず昨年の映画であったが結局今年観ることになった。信頼する界隈の評価が軒並みクソ高評価でありついに食指が伸びたのである。結果、今年見た映画の中で二位の評価となった。まったく、観てみなければ分からないというのはこのことである。

この映画が素晴らしいのは恋愛の描き方がリアルとかそんな表面的な部分ではなく人と人との「相性」というものの本質を炙り出そうとしているところにある。

サブカル同士という「相性」は相性という膨大な情報量のほんの僅かな一面でしかない。しかもその「サブカルである」という特性は人間性や性格といった根源的なものではなく単なる「趣味」である可能性があり、そうだとすれば今置かれた環境がその趣味を産んでいるだけかもしれず、よって時と場所が変われば真逆の特性(趣味)に移ろう恐れがある。

では我々は何をもって恋愛をする上での「相性が良い」などと言えるのだろうか?馬鹿げているだろう。そんなもの最初から簡単にわかるはずがないのだ。物事が万事やってみなければ分からないのと同様、恋愛も付き合ってみなければわからないのである。

一方で、これでもまだ語りきれない含蓄深さがこの映画の中にはある。むしろこのように言語化して語ることで大事な要素が欠けていっている気分にすらなる。

というより映画ひいては物語というのはそもそもそういったことが起こり得ないようにする装置なのである。つまり言語化すると必ず全てが伝わらない、もしくは人の受け止め方で齟齬が生まれるという重大な問題が発生するが物語という変換装置を通すことによって万人が万人の「経験」を得られる。その経験は後からどれだけでも言語化出来るが本質から言えば別に言語化する必要も無く、すでに全ての情報は余すことなくその「経験」の中に含まれているのである。だから我々は言語化するまえに経験に対して感動し涙を流すのであり、その後なぜ涙したかを自らの中で論理化するために言葉で持って評するのである。

 

一位 THE FIRST SLAM DUNK

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12/30、今年最後の最後に観た映画を頂点に置くことになった。それが為に記事を更新しなければなくなった。私にとってあまりにも素晴らしい年末の映画の締めくくりとなった。

この映画にはそもそも私的に最初から不安がつきまとっていた。

あのスラムダンクというあまりに有名な傑作漫画を、20年の時を経ていまさら映画化する必要があるのか。しかも1度アニメ化している。原作は30巻分もあるのに、今さらたった2時間の尺で何を描くというのか。しかも今作は3DCGアニメで、監督脚本は原作者の井上雄彦だという。映画監督をやったことのない漫画家で、そもそも映画として成立するのか……

このようないくつもの懸念があったことから、映画館で観る候補からは退けていたのだが、界隈の高すぎる評価でもってこの年末にようやく食指が伸びたのである(この辺り、二位と同じことが起きている)。

結論としてはとんでもないことをやり遂げてしまったということになるであろう。

少しネタバレになるが、今作はまごうことなきスラムダンクであり、リブートであり、総集編的であり、原作を知っているものからすれば本来なんら驚くべきところもなく、価値もない作品に成り下がってもおかしくない要素で構築されている。

しかしそうはならなかった。むしろこのザファーストスラムダンクによって、井上雄彦が本当にやりたかった「スラムダンク」を完成させたとも言えるかもしれない。

このようなことすら妄想してしまう。つまり、井上雄彦はおそらく20年前に原作を書いている時点で、この映画の映像が脳内に流れつつそれを漫画に描き落としていたのではないか。

つまりは漫画という形態をとる以上、各場面はコマで区切られざるを得ないが、一方実際のバスケの試合というのは当然ながら区切りなどなく、各人が常に各動作をし、それら一連の動作の連関および相互作用でもってゲームセットまで続くのである。であるならば、漫画よりも本来的にはその動作の連続が再現できる映画の方が、作品として完成されるはずなのである。

要するに本作は、構成だけみればひどく凡庸と言っていいほぼリブート総集編である、しかし漫画すなわち「コマ割りという制約条件」のある原作を、その制約から解放して現実的な試合に落とし込んだ。その完成度があまりに高すぎたがため、歴史に残るアニメーション映画となったのである。

もう少し詳しく言おう。

そもそもバスケットの試合は瞬間瞬間にフェイント、駆け引きが行われ、敵に対する足の立ち位置、手の位置、リズムの崩し方、身体の当て方という細かな動作の精度が相手を出し抜く技術となる。であるから本来的に単位時間あたりのアクションの密度があらゆるスポーツのなかで最高レベルに濃いと言えよう。それを切り取るには確かに漫画のコマ割りというのは向いている。

しかし本作はそれをコマ割りせずにまるで1試合をノーカットで見てるかの如く、連続で撮影して見せようというのである。つまり漫画でやったスラムダンクというあまりに有名な「コマ割り」のドラマを、実際の試合のように、まさにその会場でノーカットで見てるかのように再現しようというのだ。

下手なやり方をすればこれは当然無茶なことである。おそらく画面の整理がなされず、チャカチャカとカメラが切り替わりまくり、誰が今何をやってるかが分からない動画になっているだろう。最悪、今誰がボールを持っているかすら分からないような映画にもなり得たはずである。

だがそうはならなかった。本作があまりに素晴らしいのは、このカメラの撮影技術である。

原作を知っている人なら分かるだろうが、あれだけのアクションの情報量、密度がありながら、まったくもって全てが完璧に画面に捉えられている。今誰が何をしており、動作にどのような意図があり、なぜそれが起きたのかといったような事が、たった2秒の間のカメラワークに全て収められている。これを映画監督未経験の漫画家にやられてしまったのでは…天才という言葉では収まらないであろう。

まったく、20年前に漫画というジャンルで後世のスポーツ漫画に絶大な影響を与えたスラムダンクが、2022年になって再び「アニメ」というジャンルでこれからまた20年先に影響を与えることになるとは、誰が想像しただろうか。

そのような観点から、たとえドラマパート部分が「左手は添えるだけ」だったと評されようが、今年のベストに君臨させるしかないと私は判断したのであった。

 

以上、年末年始の暇つぶしにでも参考にしてもらえれば筆者の幸甚である。

過去の映画ランキングも以下に貼り付けておきますので良かったらどうぞ↓

https://yushak.hatenablog.com/entry/2020/12/31/134807