Kの思索(付録と補遺)

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哲学者と言語 他〜 Kの思索(付録と補遺)vol.84〜

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2019/7/10(水)

チェンソーマンを購入して読む。まだ2巻だが、非常に優れている。バトルものの皮を被っているが、これは優秀なラブコメだ。

 

ツイッターにはフキゲンな世界が広がっている。フキゲンな人がフキゲンな人達によって炎上している。フキゲンな人は元々フキゲンになりやすいのに、その増強装置をやめられないのは多分、フキゲンということがその人自身にとって実は適度に気持ちいい刺激だからだ。彼はフキゲンになりたがっている。アドラー心理学。まずはフキゲンになり、自らのフキゲンを論理的に吐き出すと気持ちいい。

 

・炎上は「無自覚な人と自覚過剰な人」が引き寄せあう運命にある。

 

ユニクロのライトダウンジャケットが売れた。季節的には夏なのに、冬服が売れるとは単純に驚きだ。本当になんでも売れる。先を見越して安く買う優秀な客も沢山いる。

 

インフルエンサーの言うことは、流石にインフルエンサーとなるだけあって、一理ある事も多い。しかし「自分の優位性」=「自分の言うことは正しい」というポジショントークにはドン引きだ。「みんなは頑張って、私は楽しく生きれるから」というような挑発めいた事を言う人は、本当はそう言わないと、自らを立脚出来ないほど、自尊心に飢えている状態なのが、彼のあまりに主観的にモノをかんがえる脳にはわからないのだ。自らが「本当は何に恵まれていたのか」、そういうことがわからないので、他の人の影響やフォローが有って自らを立脚出来ているという自覚もないのだ。もしその自覚があれば、彼には周囲への感謝の言葉が溢れ、フキゲンそうに周囲を見下して幸福を偽装することもなかっただろう。

 

・思考が暴走する。考えないように意識する事が、考えを呼び起こす。考えないようにしようと考えてしまう。仏教の教えの通り、考えないために瞑想を意識して考えないようにする。ここでふと僕の思考が叫ぶ。「違う!瞑想は考えても良いが、その流れる思考を客観視することが肝要なのだ。」瞑想が途切れる。こういう風にして、知識が行為の邪魔をする。思考の暴走に知識は虚しく、それどころか毒にもなる。

 

・仕事をする。自分のモチベーションについて考える。これまでさまざまな部署を回ってきたが、モチベーションは無かった。ただやれば金が振り込まれる仕事。どこでも同じだった。この会社に自分のモチベーションはないのかと疑う。それとも本当は、モチベーションが上がるような仕事がこの会社にもあって、まだ出会えてないだけかとも思う。自分の使命について考える。自分には何かしらの天才があると思っている。しかしそれがなんなのかがわからない。度重なる異動により、自ら指揮するようなポジションは取れず、ただ上司の指示のもとで仕事をする。今日もまた新人のような働きをする。顔は死んでいる。頭が回らないので言葉が上手く出ない。それがまた人をイラつかせるらしい。今日もよく眠れないかもしれない。

 


2019/7/11(木)

バンプオブチキンの新譜aurora arcをサブスクリプションで聴く。中学校の時にカルト的にハマって以来、はまり続けた僕の音楽の神様のような存在。本ブログのKの由来も、彼らの初期の傑作である「K」という曲からきている。今の彼らの音楽は、闇に対する刺々しい若さを抜けて、優しさと慰めの灯火のようになっている。

 

・朝、渋滞に巻き込まれる。ただ音楽に委ねていく。会社への到着は大幅に遅れる。音楽と自分が一体となる。この世界の一切が、音楽と自分との関連から離れていく。

 

・仕事をする。一日中手を動かす。モノを黙々と綺麗にするのは結構好きな事だと知る。

 

JALmixiの株を最近買っているが、しばらくはマイナスを予感する。バリュー株は、経験上10~20パーセント近くマイナスの状態が3年ほど続くこともある。だがその後はプラスに転じる。JALに関してはファンダがまともで、優待目当てで購入している。mixiに関してはモンストへの諦めから非常に割安で売られている。しかしながら有利子負債が0で、自己資本比率は92パーセント、しかも配当利回りが5%と高い。そして最大のポイントは、利益余剰金が1700億円近くあることだ。この莫大な資金でモンストの次の金鉱を当てるだろう。これからBリーグが熱くなるという中、mixiのエックスフラッグが観客動員No1を誇る千葉ジェッツとタッグを組んだのに注目している。

 

・映画「狂武蔵」が気になる。7年前、主演の坂口拓は撮影中のトラウマから刀を握るだけで吐き気を催し、撮影は中断され、お蔵入りになるかと思われた。しかし映画「Re:born」で戦闘者「稲川義貴」の指導のもと、ウェイブマスターとして坂口拓は文字通り蘇り、覚醒した。そして7年越しに狂武蔵を完成させた。クラウドファンディングで資金を集め、まさかの77分ワンカットである。

 


2019/7/12(金)

・仕事をする。3連休を思う。映画「凪待ち」を観に行く予定だ。香取慎吾を使ったのは多分正解だろうと思う。さまざまな経験を経てきた彼にはポップでコミカルなキャラクターよりも絶望的な役割が似合う。

 

・なにかを見たり聞いたりした時に、感覚が反応する。「感じ」を感じる。ではこれの正体はなんなのか?感じている以上、そこには何かが確実にある。感じているということは疑えない。しかしその正体が何かがわからない。「確実にあるのに、それが何かが分からない」ということほど、人間を探求に向かわせる事はない。哲学者というものはこれに言語を与える。「感じ」をできる限り言語化して謎を解き明かそうとする。「感じ」の霧を、言語化により晴らそうとする。数学者が幾何学の問題を解く時に、補助線を引くことで一気に問題が解かれるように、哲学者は「感じ」の謎に言語で補助線を引くのである。ただし、霧は少しずつ晴れるものの、完全に晴れることは無い。言語の情報量はいつまでたっても「感じ」の情報量に追いつく事はない。だから彼らは思索を続ける。その訓練として、というよりもいつも自然に、「〇〇とは何か」ということをあらゆる事に関して考えている。

 

・自らの営みを書きつけていく行為は、まるで自らの人生を他人の人生のように俯瞰する感覚を与える。自らをまるで映画の中の誰かのように観ることが出来る。そうすると、それを観ている自分が、自分を動かすべき方向をより冷静に判断することが出来る。いやそうではない!この文章のなかに、自らの分身を、いや自らそのものを、移してしまう感覚がある。だからこれは、文章そのものが念仏となっている。カエサルガリア戦記を書いたのもそのような効用を分かっていたからかもしれない。

 

・ルソー著「エミール」におけるエミールとソフィーの出会いの描写は鳥肌が立つ。ルソーはただ優れた哲学者であるだけでなく、その文才も評価されているが、正にこの部分の描写がそれをよく証明している。