Kの思索(付録と補遺)

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前線という現場・現実に飛び込まずにペラペラ語る思想家を「夢想家だなぁ」と思って眺めている話など〜Kの思索(付録と補遺)vol.107〜

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【前線という現場・現実に飛び込まずにペラペラ語る思想家を「夢想家だなぁ」と思って眺めている】

 

自分が思想力のある人間だと自覚するものが、最も注意しなければならないのは、世界を最初から思想で完結させる事だ。

 

つまり前線にもいかず、机上で、勝手に、最もらしい前提から出発して、思想だけで答えを出す事だ。

 

というのも、彼の考えるその「最もらしい前提」と、それから積み重ねられる「合理的思想」は、前線や現場に至った時にほぼ間違いなく崩壊する。

 

何故か。

 

前線や現場では、常に合理ではどうしようもないことが起きているからである。

 

結局のところ、もし自分の世界をどうこうしようと思えば、この合理ではどうしようもない部分を破壊する必要がある。

 

理想主義的な思想家は、この場合「合理的に考えれば絶対私が正しいのに…みんな間違ってる」と言って、ありもしない自分だけの思想世界に閉じこもる。

 

これが最も危険なのだ。

 

現実と理想の主義をバランスよく合わせた思想力とは、そういう合理ではどうしようもないところの打開策を得るために、自分に対する確固たる信念や使命を構築するために使われる。

 

いずれ合理でなんとかなる問題まで至るが、その時はもはや自分でなくても解決できるほど単純なものに分解されている。

 

一般原則として、まず得たい成果物を見極めよ。その時、自らに全く情報がないのならば、思想からスタートしてはいけない。まず足を動かして前線に出向くべきである。

 

そこから情報を得て、手を動かし、再構築してみる。そこから何が見えてくるかということで、最後に頭を使う。

 

足→手→頭である。

 

余談だが、ジークンドーで最も重要なのはフットワーク、すなわち足である。

 

その足で地面を蹴った波が全体重を乗せた状態で手に伝わって、フェンシングの突きのように飛び出す。これがストレートリードである。

 

この時まで考えてはいけない。その時間が隙になるからだ。

 

故にブルースリーは「Don't think! Feel.」と教える。

 

もちろん相手がどう立ち回ってくるかは理知的に考えなければならないが、あくまでも感応力が最優先である。

 

その点だけみれば、ジークンドーの教えも足→手→頭である。

 

ただジークンドーの本質は、最終的には無形であらねばならない。ただ一つの有形例では、例外に対応できなくなるからだ。

 

その点、上記は一つの有形例にすぎない。戦闘は無数の例外、奇策、虚と実が錯綜したカオス系である。

 

ジークンドーだけに限らず武術家は、カオス系に処するための有形を、あらゆる有形が昇華して無形となった本質の中から取り出す。

 

余談がすぎた。

 

合理でなんとかならない部分を解決した人間は、他者から見ると、実際何をしたのかがよく分からない。いつのまにか事態・方針が変わっており、魔術のように見える。だから「あいつはうまくやった」としか映らない。

 

何故か。

 

彼が動かしたのは物的なものではなく、他者の行動だからである。

 

さらに思想家的な抽象度を上げた述べ方をすれば、この「合理ではどうにもならない」というのは計算に入れるパラメーターが多すぎるということである。

 

前線では多量の不確かな情報、人間関係、政治的圧力が錯綜して、あたかもカオス系のようになっており、このような状態において一般解は存在しない。

 

【学校の勉強が役に立たないと言われるのは、それが貴族の教養にしかなってないから、などと考える】

学校の勉強を抽象的概念に昇華して述べれば、ある基礎的な情報を、与えられた制約条件の中でこねくり回し、別の問題に対して応用しながら適用する能力構築である。

 

これだけ聞けば、仕事にも適用出来る感じがするが、しかしやはり学校の勉強と仕事は全く違う。

 

仕事の場合は机上で完結できないし、他者という要素が多分に関与するからだ。

 

確信を深めつつあるのは、やはり学校の勉強は「識者」に至るためのもので、しかしそれは専門家という意味ではなく、ある一種の貴族の教養主義的な意味であるという事だ。

 

貴族社会で完結しているなら、お互いの力量が教養で試されるために役立つが、戦場に放り出された貴族は教養で相手を倒せない。

 

仕事においては、「余人をもって代え難い」という人物が最も金を稼ぐ。

 

そのためにはドラッカーも言う通り、自らの強みを知り、それをひたすら伸ばす機会を見つけて実行するのみだ。

 

学校教養が高いというのはベンチマークであって、それだけである。

 

君の強みも現れない。

得意な科目があるだけだ。

 

【本や長文を読む時に目が滑って内容が全然頭に入ってこない人はだいたい受動的すぎている。能動的になるやり方を書く。あと速読には意味がない。】

 

本や長文を読めない人へのアドバイス

とにかくその内容を読みながら「要約」していくと良い。なぜか。

 

要約ってのは「理解」してないとできないからだ。


本を読めない人や、速読をとかく重視する人ほど、ただ文字を「追ってる」だけで内容が全然自分の頭で咀嚼できてない。これだと実戦で使えない。


経営本を100冊速読で読んだ人より、例えば一冊ドラッカーを、自分の頭で咀嚼しながら、自分の環境ならどう当てはまるか、どう実戦適用するかを考えながら、真剣に読みきった人の方が絶対に強い。


せっかく本を読むなら、「本を読むこと」それ自体を目的にしないことだ。それができるのは活字中毒の人だけだ。


あくまでも本の「内容」を、自分の環境にどう実戦適用するかという、生存戦略としての道具として読むこと。あくまでビジネス書は。


結局のところ本を読むというのは、その作者の主張を理解し、「議論を試みる」ということである。


例えばビルゲイツの本の読み方は、ページの至る所に自分の意見や反論、疑問をメモ書きしまくるというものだが、これは上記の点で本質的である。


本は、ともすれば非常に受動的なもので、自分の頭を全く使わないようになるリスクを常に孕む。


いわゆる悪い意味での「多読家」が、実践家に論破されることが多いのはこの為だ。一度も自分の頭で考えたことがないのだ。

 

偉い先生の言うことは正しいと鵜呑みにしないためのビルゲイツ読書法である。

 

【有能とか無能とかを安易に語る人は、自分の努力だけで人生の全部のことが成されていると思っていて若いなぁと思う話。恐らく老練な人ほど運を味わい深く識る。】

 

有能とか無能とかいうことで全人的な評価を決めるというのは、神への叛逆(といえるほど愚かな思想)である。

 

史家はあらゆる人生を見て、その成果が多分に運や天啓と呼ばれるものへ絡みついていることを知る。

 

上記のことで人を判断することが、いかに視野狭窄かつ浅い思考であるか良く分かっている。

 

どんな大きな成果を出した有能と呼ばれる人間であれ、死ぬときにはただの風景として自然に還っていく。

 

これは、逆に無能と呼ばれ、しかしながらその人生は自然とともにあった人間と相違がない。

 

人間というものを一つの、神の創作物である自然という風景であると見た時に、彼らには全く優劣がない。

 

また歴史の方向性も、常に塞翁が馬であり、偉人とされる人物の行為は、必ず善でもあり悪でもあった。

 

ここにおいても人間的な優劣は消え、ただ歴史の変化としての原因と結果があるだけになる。

 

そういう面においても、どんな人間であれ、歴史の流れという自然と同一でしかない。

 

【よく哲学がなんの役にたつのと聞かれるが、勘違いして欲しくない。哲学者が残した思想が役にたつわけじゃない。彼らの哲学的思考プロセスを見て、それをお手本にして、ありとあらゆる問題を作り、解決し、周囲の人になるほどという驚きをもたらせ】

 

現実的な哲学とは、絡まった糸を目撃し、その糸を解くことにある。絡まった糸の存在そのものを疑うことではない。

 

絡まった糸を目撃し、それをありありと実感しているのに、言語の操作でそれを消そうと努力するのは現実的な哲学でない。

 

絡まった糸が存在すること自体の解決は神秘に属する。

 

哲学が哲学自身を哲学し、哲学がなし得る仕事およびその限界を発見することは、正に哲学の仕事である。

 

また哲学が成し得ない仕事が神秘の解明であることを発見するのもまた、哲学の仕事である。これが絡まった糸を解くということである。哲学の実践は本来このように成される。

 

現実には至る所に絡まった糸が散乱している。(課題とか目的とか謎とかのありとあらゆるもの)

 

哲学の仕事のやり方を知らない人には、それはただ絡まったままに、力任せに解こうと引っ張られている。

 

これを言語により明晰に解きほぐすことで「なるほど」という驚きをもたらす使用が哲学の仕事である。

 

【様々な哲学の型を学び、一つ一つの有形を知り、それらが組み合わされて昇華され、彼自身の無形の哲学を得る。しかしその無形は、無形であるというただその一つにおいて有形であり、確立している】

 

無形の哲学を体得した者は、それを考える必要がないから、出てくる言葉のひとつひとつが自然であり、淀みがなく、筋が通っている。

 

彼は存在自体が無形の哲学の形態であるため、無理に教えようとしなくても、ただそこにいて、彼の思うまま何事かを語らせるだけで、人が彼から自然と学んでしまう。

 

 

【何を伝えるべきかを考えていない人、自分の話を凝縮して伝えようという心がけがない人は話が長くなる】

自分の知っていることを一から全て説明しようとすれば、時間がいくらあっても足りないし、聞く方は捉えどころが無い。


だからそれを分かってる人は、彼の持つ広大な知識を、できるだけ「1にして吐き出す」ような話し方をする。

 

故にそれは簡潔でありながら真を捉え、早口でなくても密度があるのだ。

 

APEX LEGENDS ダイヤランク到達法の解説〜Kの思索(付録と補遺)vol.106〜

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エーペックスにおいてダイヤランクに到達した。フルパーティは一度も組まなかった。費やした時間の半分は野良とプレイした。


そのような状況のもと、どのような戦術視点でもってダイヤまでランクを挙げたかを解説する。

 

プラチナ帯まで上がるための基礎的知識は既に下記の記事にまとめてあるので、初心者の方はまずこちらから読んでいただきたい。

 

yushak.hatenablog.com


まずパーティであるが、これは組めるなら絶対に組んだ方が良い。なぜか。野良とやると、どうしても運要素が強くなるからである。


強い野良もいれば弱い野良もいる、突っ込みまくる野良もいれば、付いてきてくれない野良もいる。協調性のある野良、ない野良もいる。野良同士で殴り合いの喧嘩になることもあった。流石にそのときはふざけるなと思った。


そういう運要素に左右されることになる。運要素はゲームには欠かせないが、運要素が実力性よりも多大に影響するゲームはイライラしてしまい、精神衛生上、良くない。


ただしパーティでやるとしても、フレンドがゴールド帯である場合、プラチナランク帯に混ぜるのは酷である。実感からいってもプラチナ帯とゴールド帯では難易度が段違いである。


ゴールド帯から初めてプラチナ帯に上がった人はわかると思うが、一手のミスで瞬殺を繰り返されるはずだ。立ち回り方も変わってくるので、なんとなく歩調が合わない、ということにもなるのだ。


なので、出来ればプラチナ帯はプラチナ帯のフレンドと組むべきである。またプラチナ4とプラチナ3でもかなりの実力差があるので、出来れば3以上の人と組めるのが望ましい。

(プラチナ4のまま上がれない人は、結局RPがゴリゴリの削られてるか、稼げていないということで、立ち回り方がゴールド帯のままということが多い)


次にジャンプマスターであるが、野良とやる場合特に注意してほしいのは、他パーティとの降下場所の被りである。


君にどれだけ実力があろうが、関係ない。野良が速攻で一人倒され、次の野良も速攻で倒され、1vs3で戦うことになる。もしそれを制したところで、銃声を聞きつけた漁夫が君を襲うだろう。君のキルデスが6以上あるならやってもいいが。


そういうことになるので、ジャンプマスターは野良任せにさせてはダメだ。必ずキャラ選択して、ジャンマス権を奪い取りたい。その上で、敵のいない場所に降りるのだ。奪い取れなくても、最低指示だけは出したい。


ただしこの「敵のいない場所に降りる」というのが、また難しいのだ。被らない期待値をあげる方法としては3つあり、


①後ろを見て、敵の飛ぶ軌跡から、空いてそうな場所を選んで降りる。


②1200メートル以上離れた場所に降りる。


③第一候補がダメだった時の第二、第三候補まで考え、敵の軌跡を見ておく。


これらは当然、距離に応じた最速降りができることが大前提である。もちろんこれら全てを組み合わせても、急激に軌跡を変えてくる敵もいるので、必ず上手くいくとは限らない。


その場合、敵と戦う・戦わないの判断は、基本的には武器やアーマーの状況を見ての総合判断になるが、野良の場合はやめた方が良い。そういうことの確認行為が出来ないからだ。ある程度装備を整えたら、接敵する前に次の場所へ物資を探しに行ったほうが良い。


なぜこれだけ初期の状況を語るかといえば、初期で負けるのがランクマにおいて最低だからである。特にプラチナ帯での初期負け-36RPは、精神をゴリゴリ抉られる。君も味わえばわかる。


円の第一収縮までは、とにかく物資あさりに徹するべきだ。敵との戦闘は可能な限り避けよう。初期戦闘はランクにおいて、特に野良とやるときはメリットがない。繰り返すが、初期戦闘は避けよ!これは超重要概念である。


第2収縮以降も、残り8パーティくらいになるまで戦闘は避けたい。これくらいになると、ノーポイントで死んでもそこまで痛くない。しかも実際にフルパで生き残ってるのは5パーティくらいである。もしここで1欠け、2欠けしている敵を見つけて倒せれば思わず「おいし~!」と叫ぶだろう。


円の収縮が始まる前には、次の円の中に入っているのが理想である。ただし円の中に入っているだけではダメで、必ず高台強ポジを取っておく必要がある。

(プラチナまで来れる人は、高台がなぜ強いかは知っていると思うので、ここでは解説を省く)


なぜなら、ランクにおいて最もポイントを稼ぎやすい状況は、円の収縮ぎわで、ごちゃついている敵を高台からひたすら撃ち下ろす時だからである。逆にいえば、君も円の収縮ぎわでごちゃついてはならない。ただしこれが非常に難しい。


まずそもそも初期においては、次の円がめちゃくちゃに遠いということが起きる。この場合、円に向かいながら要所要所で物資を漁るようにする。


ただし移動距離が遠いだけ、接敵の可能性が高まる。この時も、出来る限り高台から高台、遮蔽物を意識しながら移動する。


ジャンプタワーは出来る限り使わない方が良い。音がうるさすぎて、敵からパーティの位置がバレバレになり、いとも簡単にクロスを組まれて倒されるということが起きる。もし使うとしても、できるだけ高台に降りることだ。


このように高台を取るというのは、立ち回りにおける「最優先事項」である。だから円の収縮が終盤になるにつれて、高台の椅子取りゲームという風になってくる。


個人的な実感として、高台と低台では、キルデスに2倍以上の実力差が付いてしまうと感じる(これは例えば、空手の高段位でも剣道の中段位に勝つのは難しい事に似ている。リーチの優位差があるからだ。)


高台が椅子取りゲームである性質上、どれだけ頑張っても先に椅子を取られている状況に出会う。この際にどうするか。


敵を高台から引きずり降ろさなければいけない。もっとも有効なのは投げ物である。その用途においてはアークスターが最も優れている(グレネードは転がり落ちてしまう、テルミットは距離が足りない)。


そのためパーティ全員が一つも投げ物を持っていないというのは、上位に入り込む期待値を著しく下げるので、避けるべきことである。


もし投げ物もなく、高台から撃ち降ろされている状況で、逃げ場もないとなれば、死を覚悟するか、死を覚悟する(もうそれくらい死ぬ)。

 

逃げ場があれば、ノックダウンをしないこと前提に撃ち返して怯ませ、その隙に別の場所に移動する。バンガのモク、レイスのポータルなど、キャラスキルも駆使して状況を打破せよ。


最終盤まで、この高台を取り続けるという原則は揺らぐことがない。チャンピオンになるのは、大抵の場合、最後に最も高い場所を取っていたチームである。


このように立ち回ることで、ある程度は安定して上位に食い込めるようになる。


もちろん野良とやるときは野良との呼吸があるので、必ずしも上記のセオリーのようにはいかない。野良が無謀なプレーをしても、君がキャリーしてあげるつもりでカバーしなければいけない。その他大勢と一味違うから、次のランクに行けるのだ。


ゴールドまでは、この立ち回りさえ上手ければプラチナには上がれる可能性がある。


しかしプラチナからダイヤに上がるには、それに加えて敵を倒してキル・アシストポイントを稼げなければ非常に厳しい。なぜならトップ3に食い込んでも、ノーポイントなら+4RPにしかならない世界だからだ。


そのため、ここからは上記の立ち回り以外の部分において「ポイントを稼ぐにはどうすればいいか」を解説していく。


まず当然ながら、基礎的なエイム力は必須である。射撃訓練場で練習する際は、できればフレンドと入って、より実践的にやると良い。それが出来なければボットを動かすべきだ。


ポイントとして、綺麗な追いエイムが出来るように意識しよう。この際ヘッドを狙うより、正確に胴体に当て続けることの方が絶対的に重要である。リコイル制御の感覚もそれで学べる。


実は、エイムスティックの操作はほとんど必要がない。むしろ身体の方を動かして、常に敵を画面の中央に捉え続けるのがコツである。


単発銃も同様であり、1発1発をエイムスティックで狙うのではない。常に敵が画面の中央に置かれるようにして身体を動かし、射撃間隔が隔たれまくった連射銃を撃ってるかのようなイメージを持つのが、単発銃射撃のコツである。


武器ごとに腰うちの距離とADSの距離を把握しておくのも大事だ。あまりに近い距離でADSすると、足が止まるリスクが高すぎるし、エイムアシストが効きすぎてエイムがぶっ飛ぶ。目安としては、腰うち時のレティクル内から敵の体がはみ出すような近さであれば腰うちでよく、そうでなければADSである。

 

また撃ちきったとき、遮蔽があるならリロード、無いなら武器替えを素早く行えるように意識づけしてやることだ。


常に動き続けるのも重要だ。実践では棒立ちはただの的でしかない。流石にプラチナまで来て、レレレ撃ちを出来ないというのはないと思うから、ここでは解説しない。


しゃがみレレレが必要かといえば、正直ダイヤまでは不要である。不用意なしゃがみレレレをして動きが鈍ったり、エイムがブレるくらいなら、きちんとしたレレレと、正確なエイムを心がけた方が良い。


そもそもレレレをしなければならない状況に追い込まれている時点で、近くに遮蔽がないということだから、立ち回りが良くないことを証明しているようなものである。相手をすでに激ローにしているか、逃げアビリティのあるキャラを使ってるならまだしも、そうでないなら二人目の敵にやられてしまうだろう。レレレよりも遮蔽の管理の方がよっぽど重要である。


さて実践であるが、とにかくまずはノックダウンしないことが何よりも重要である。本ゲームは、人数有利を作られてしまうとほぼ100パーセントの確率で敵から全力で詰められ、負けてしまう。ひとりの最初のノックダウンが、即時、部隊の全滅に直結する。まさに戦犯と呼んでいい。


戦闘をやめて逃げるタイミングは、味方一人が確キルを入れられたらで良いと考える。まして二人とも死んでいるなら、逃げるしか手はない。絶対に戦闘を続けてはいけない。どうせ勝てない状況を無理に突っ込んで-RPになるのを、なんとしてでも避けるのだ。


これを突き詰めると、戦いの本質はまず、ダメージを受けないことにあると言える。そのためには、相手に気づかれず、隙あらばこちらが一方的に撃つというのが理想となる。


とはいえ現実は理想通りいかないものだ。戦闘を開始すると、どうしてもお互いの肉と骨を断ちあうことになってしまう。戦闘の最中にあって、いかに被弾を避けることが出来るか?


そこで最も重要なのが射線管理である。敵がどこにいるのかをきちんと把握して、高台を取るなり、遮蔽物を確保したりする。撃たれてもすぐに隠れられるようにする。


マガジンを全部撃ちきったために、相手からも撃たれ続けるくらいなら、さっさと遮蔽に隠れてリロードするべきだ。敵にダメージを与えるより、自身の被弾をまず避けなければならない。


敵と目と目があっているならば、撃ちあわないほうが良い。こちらも相手を狙っているが、同時に相手もこちらにエイムが合っているのだ。たとえ撃ち合って勝ったにせよ、こちらもかなりのダメージを避けられない。


これを避けるために最も重要なのは「同じところから顔を出さない」ということだ。君が一度撃った場所、撃たれた場所には、敵からほぼ確実に置きエイムされている。君の周辺のあらゆる遮蔽をクリエイティブに駆使して、毎回違うところから顔を出し、敵を撃つのだ。これは遠距離戦だけでなく、超近距離戦でも同じである。


また一人の敵に大ダメージを与えて追い返しても、敵の位置を知らない限りは無理に追いかけてはいけない。必ず予想外のところから別の敵がスイッチしてくる。ならば最初から、次にスイッチしてくるやつがどこから顔を出しそうか想定して、置きエイムする方が良い。


室内戦などの超近距離戦であれば、不用意に足音を立てたり、走り回るのも危ない。上手い人は足音で敵の位置が完全に視覚化出来ている。そのため、最初から止まるか歩いて置きエイムしている敵には結局、初弾までの速度で負け、よってダメージレースで負けてしまう。


戦闘の中に虚と実を混ぜ、いかに相手を惑わせる事が出来るかがインファイトにおける最重要点である。言ってしまえば、置きエイムされるようなピュアな動きをした時点で負けなのである。


たとえ上記に気をつけたとしても、ジリジリと相手を削れるだけで、ノックダウンに結びつかず、戦闘がいたずらに長引くことがある。「均衡してるな」と思ったら、周辺に漁夫がいないか確認せよ。今か今かと待ち構えている奴らが大抵いる。自分たちはさっさとそこを引き、待ち構えてる漁夫に戦闘を引き継がせるのだ。そのあと漁夫り返せそうならやればよい。


もし敵を一人でもノックダウンさせたら、漁夫が来る前に戦闘を速攻で終わらせるため、嵐のように詰める。これは先にも書いたとおりだ。ノックダウンは詰めの起点になるのだ。


この際に注意するべきは、予想してないところから撃たれてノックダウンすることだ。これは結局、敵の位置を把握してないことによる。高台から撃ち降ろされるパターンが最も多い。また詰めのやり方が雑すぎて遮蔽から遮蔽に移動できてないこともある。できることなら上手く投げ物やスキルを使って、敵を潰乱せしめながら詰めるのだ。


更に、もし上手くいかなかった時にどうするかも常に想定せよ(部屋にコースティックのガスがある、扉を塞がれており素早く開けられない、投げ物に当たってしまった、敵が角待ちしていた等等。戦場では常に予想外のことしか起きない)。


もし勝ったとしても、すぐに漁夫が来ることを想定せよ。敵のデスボックスから速攻でボディシールドを漁り、更に漁れそうならシールドバッテリーを取るのだ。次に弾を取り、その他アイテムは、本当に余裕があれば取る。


戦闘しても、なかなかポイントが取れない場合に想定されるのは「キルポイントが入らない」「アシストポイントが入らない」パターンの2つである。


キルポイントが入らない場合は、エイム力が足りず、速攻でノックダウン出来ていないのである。またこちらが撃つよりも撃たれるダメージの方が多いのである。更にノックダウンさせたは良いものの、確キルまで入らずに復活させられているのである(ただし無理に確キルを入れるのは厳禁だ。パーティを殲滅させることで確キルに繋げよ。ノックダウンした奴は、復活させようとする奴をおびき出す良い餌なのだ。)


アシストポイントが入らない場合は、戦闘に参加できていないのである。また味方が撃っている敵を無視して、別の敵を撃っているのである。味方がノックダウンさせる5秒前までに被弾させていることがアシスト条件である以上、ほぼ味方と同時に同じ敵を撃っていないと、アシストポイントは入らないと考えて良い。アシストポイントがバンバン入るプレデター帯の人たちの連携力が、どれだけ凄まじいかが分かるというものだ。


さぁ、以上のことを意識できればあとは実践あるのみである。粘り強く、諦めずにやってほしい。諦めなければいつか必ずたどり着く。


最低の野良もいるだろう、ラグの酷さで死ぬこともあるだろう、プラチナ帯なのに現行ダイヤランクにやられることもあるだろう、ダブハン爪痕もいることだろう。まったく理不尽しかない。


しかし、そういうあらゆる理不尽を跳ね返し、乗り越えてはじめてダイヤ帯にあがる事が出来るのである。この記事を読んだ人のダイヤ到達を心からお祈りする。

「やりがい」「やる気」「モチベーション」の他力本願〜Kの思索(付録と補遺)vol.105〜

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「やりがい」「やる気」「モチベーション」こそが真に人生に重要な価値観で、それが得られなければ不幸極まりないというような、地獄みたいな価値観を押し付けられる令和社会を見ている。

 

僕はべつにそれが絶対的な価値でも、生き方の真理でもないと思っている。

 

一時的に時代性が過渡期を示していて、声の大きい人がやたらとそれを声高に叫ぶので、それが文化として形成されつつあるように見えるけれど。

 

たぶん人生は、そんなに単純じゃない。夢が叶ったところで完璧完全に幸福とはいかない。

 

僕は、そういうやる気とか、やりがいとか、モチベーションとか、そういう諸々が、結局ことばの上の概念にすぎないと思っている。

 

きっと、真に我々に湧き上がるのは、ことばではなく、快楽か苦痛のそれだけなのだ。

 

そしてこの世は、残念だけど苦痛の方が多い。

 

我々が何かを食べるという行為を見ても、食べられる側の、すなわち殺される側の苦痛が、食べる快楽より少ないなんてことはないだろう。

 

そういう次第であるから、自分の気分が上がる刹那は、ただただ大事だ。

 

しかしながら、無限に降りかかるありとあらゆる雑多な「それ以外」にも乗って、川の流れのように揺蕩い、文字通り自分も流れていくことが自然だ。

 

なんて言ったらいいか、うまく言語化できない。

 

けれど、自分が楽しいって思うコトって、もっと貴重で尊いものだと思う。しかも刹那的であるはずだ。だから大切に慈しむ。すぐに無くなってしまうからだ。

 

本来そういう性質であるものが、人生の全てであろうとすると、色々と誤解するし、いつまでも手に入らないし、苦しくなるだろう。

 

集中しようと思うほどに集中出来ないように、「やる気」「やりがい」「モチベーション」も、それを得ようともがく程に得られなくなるはずだ。

 

僕は、それらが、色んな要因のもとで、結果的に「与えられるもの」という感覚を持っている。

 

すなわち、自力ではなく、他力の本願。

だから感謝しなければならないと思う。

 

もしくは、ただ自己が欲する動きに任せる感覚。

 

そしてそれが楽しめたり、集中できたら、とてもありがたい。そんなのは、たまにしかないからだ。

 

反対に、欲すると思っていた動きが、実は単なる「欲するべきだ」という義務感からくる欺瞞かもしれない。僕はそういう経験の方が多い。

 

そういう欺瞞にいかに惑わされず、またそれ以外のあらゆる雑多にも優しくなれるかどうか。

 

雑多の苦痛を容認できて、たまに訪れる快楽を慈しみたいと思う。

 

結局は全てが人生であって、人生でない部分など、一瞬たりともありはしないはずだから。

APEX legendsもしくはそれに類するFPS強者になるための理論的知識〜Kの思索(付録と補遺)vol.104〜

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100mを10秒台で走るための知識があるからと言って、実際にそれが出来るわけではない。

だからといって、知識を身につけることが無駄になるなんてことはない。

 

知識は、一種の理想だ。

 

知識は、理想の実現に向けて、早く着実に近づくための指針だ。

我々はいつも最初は、知識を意識しながら、手を動かしてみるものだ。

そしてそれがいつしか、意識しなくても出来るようになっている。

 

これを「知識の体得」という。

 

今回話すエーペックスの技術もそのような知識である。もちろん、FPS一般にも活用できる知識だ。

今から語る知識は、体得されることで実際的な意味を持つ。

 

さて負けないためには、まず何が必要だろうか。

 

それは、ダメージを受けないことだ。

 

そのため、ノックダウンされるというのは以ての外である。

チームで1人でもノックダウンされてしまうと、戦闘中に味方の判断する要素が増えてしまうので、より負けやすくなる。(回復するか?戦うか?)

では、どんな時にノックダウンされやすいのか?

 

それは集中砲火される時である。

 

すなわち相手が3人で、こちらが1人というような状況だ。

1人ノックダウンされるだけで、最低でも3人対2人になるので、体力負けしてしまう。

このような状況に陥らないためにはどうすれば良いか?

 

それは味方と前線を合わせ続ける事である。

 

出来れば団子状に固まるくらい、共に動いた方が良い。

とはいえ、あまりに固まりすぎても、敵の裏取りなどに柔軟な対応が出来なくなるので、そこは注意が必要である。

 

また1on1になる立ち回りを意識する必要がある。

 

狭い通路に誘い込むとか、投げ物で拡散させるとか、相手の裏をとるとかの対応が必要になる。

こちらが1人で、2人以上が視認できた場合、基本的には、一旦どうにかして逃げる、ということが正解となる。

視認できなくても、足音を聞いて近づいてくる敵が何枚なのか、予め把握できればなお良い。

 

では次に、さらにダメージを少なくするにはどうしたら良いかを考える。

 

まず通常時は、常に高台のポジションを取るということだ。

 

何故高台が強いのか?

それは、相手の姿、移動位置などが全部見えるからである。

反対に低いポジションにいる相手は、こちらの頭しか見えない。

しかも一旦隠れられると、次にどこから現れるかもわからない。

 

また高台の者は、もし撃たれたとしても、撃ち返す、隠れる、別の場所に引く、などの対応が、早く柔軟に取れる。

しかし低い位置にいるものは、基本的に撃ち返しても、前述の理由(見えている体面積が違う)から撃ち勝てない。

そのため隠れることになるが、隠れるルートも把握されがちで、すなわち、次にどこから身体を出すかも把握されている。

それならと同じ高台にまで登ろうとしても、同じ理由で位置がバレているので、登る動作および登りきった後で撃ち続けられて負けることになる。

 

上記理由により、高台は強ポジであり、常に取り続ける必要がある。

 

多くの場合、円が収縮する前に高台を取ることが必要である。

円の収縮に追われながら安置を取ろうとすると、結局先に高台を取られているからである。

そして円からもダメージをくらい、高台からも集中砲火され、負けるのである。

 

もし高台を取られてる場合の最も有効な策は、投げ物を投げまくって相手を地面まで引きずり下ろすことだろう。

 

さて、高台を取ることで、こちらはダメージを与えつつ、相手からのダメージは受けにくくなることがわかった。

このような方法が他に何かないだろうか?

 

それは「カッティングパイ」を意識することだ。

 

すなわち物陰に隠れながら相手を撃つ。

すぐに隠れられるものがある位置で発砲する。

 

というのも、こちらがダメージを受けた時に、もし物陰がないならば、当然ながら物陰まで逃げる動作が発生する。

結局その動作のうちに、ダメージを与えられ続けて負けるのである。

これを防ぐためにもカッティングパイを意識しなければならない。

 

また相手と腰撃ちの距離感で、正面から真っ向で打ち合う場合には、相手の弾を避けるために、「レレレ撃ち」をしなければならない。

 

レレレ撃ちは、細かすぎても棒立ちと変わらなくなってしまうので、ある程度相手の射線を切れる大きさで、しっかりと横方向に行う。

 

しかしそもそも、腰撃ちのレレレ対決に持ち込まれるのは立ち回りとしては良くない。

相手を一方的に集中砲火できる立ち回りが出来ていれば、最終円付近までは、レレレ撃ちを使う機会は減るはずである(キルムーブは別として)。

 

さて最終円付近になると、高速の判断が次々と求められる苛烈な戦場になる。

 

このような状況では基本的に、ダウンした味方を復活させる優先度は最も低い。

何故なら復活音も相手に聞かれ、詰めるまでの距離も短いので、まず復活出来ないからである。

また復活したとしても、体力の回復中に結局詰められて負けてしまう。

 

そのため、前述した通り、とにかく一人もノックダウンしないのが重要になる。

 

また回復も、時間がかかり、絶大な隙になるので、戦闘中の優先度は高くない。

一度戦闘が始まったら、回復時間は敗北へ進む時間と捉え、チーム内の全体力で相手チームの全体力を一気に潰すイメージが必要だろう。

 

そこで倒しきったら、あるいは回復してもいいだろうが、多くの場合、速攻で漁夫が来る。

彼らはキルログを監視して、いつ戦闘が終わったかを把握しており、もっとも消耗した段階のこちらを襲いに来る。

 

この場合回復は、すでに倒した相手のデスボックスからボディーシールドを高速で拾って着替えることくらいしか出来ない。

しかしそれで、バッテリーを使って回復するよりもだいぶマシになる。

 

漁夫に襲われる場合はこういう次第であるため、どうしてもこちらの体力が不利であり、普通にやっても、結局は体力負けしてしまう。

 

さらに悪い場合として、別部隊に挟まれた場合は、どちらか一方を速攻で倒すしかない。

 

ここからはお互いの射撃技術、すなわちキルタイムの短さがモノを言う領域になる。

 

相手を最速でキルする技術は大きく分けてエイムとリコイル制御だ。

どちらも射撃訓練場で訓練するしかないが、リコイル制御は、エイムに比べると知識で補えるほうだ。

すなわち武器ごとの反動を把握して、どちらにスティックを倒せば良いのかを把握しておく。

 

今のところ、エーペックス武器では以下のようにすれば、ある程度正確なリコイル制御になる。

ライトアモ系→殆ど真下入力

ヘビーアモ系→殆ど右下入力

 

エネルギーアモ系

 ディボージョン→殆ど右下入力

 ハボック→真下入力

 

エルスター→左下右下左下

 

(当然、もっと正確なリコイル制御も出来るが、それらを全て把握するのは大変だろう。まずは上記を学んだ後に挑戦してみても良いかもしれない。)

 

エイムに関してはかなり長い期間粘り強く練習する必要がある。

しかし敵の足音を聞いて、あらかじめ相手のいる方向にエイムを合わせておく「置きエイム」は、常に出来るように意識するべきだ。

 

さて、もはや敗走しか手段が残されていない場合でも、ただ逃げるだけでは良くない。

スキルを使うのは当然として、少なくとも1発だけは、相手に打ち返すべきだ。

相手も少しはビビって、撃ち続けにくくなる。

また相手の位置を知りながら逃げることにもなる。

左右に蛇行して逃げるとか、ジャンプやスライディングするのも重要だ。

 

また逃げて隠れる場所も、あまりに敵の近くでは良くない。

結局詰められるか、投げ物を投げまくられて、身体を晒さざるを得なくなるからだ。

 

撃ち返す、引きつつ隠れて回復、また即後ろ見て撃ち返し、引いていく。これを繰り返して徐々に後退するのが理想だ。

 

以上色々なことを書いたが、究極のエイム技術はこれらを覆す。そしてそのエイムこそ最も言語化不能で、深く、極めるのには時間を要するものである。毎日15分でも、射撃訓練場で練習すると良いだろう。

 

ただエイムを合わせて相手を撃ち倒すだけのシンプルなゲームが、ここまで奥深い。

そして底が見えない。ここには魔的な魅力がある。

ことばとしての言語と、数式としての言語〜Kの思索(付録と補遺)vol.103〜

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ナパレ「こんな辺鄙な所にお客さんがやってくるなんて珍しいんですよ。お名前はなんと言うんですか?」


無銘の者「事情が特殊で、私はまだ名前を持っていないのだ。なんと呼んでもらってもかまわないよ。」


ナパレ「そうなんですか。しかしそう言われても私も困ります。なんと呼べば良いでしょうか?」


無銘の者「では『無銘』と、今のところは呼んでもらうことにしよう。」


ナパレ「わかりました。しかし無銘の方、何をしにこんなところへ?」


無銘の者「色々なところに一定期間住んで、そこに住む人々と、あれやこれやの事を語り合っているのだよ。」


ナパレ「対話の旅ということですか。」


無銘の者「そのとおりなのだ。そして私の頭に溢れるあれやこれやの疑問について、理解を深めていくのが楽しみなのだ。」


ナパレ「それは随分と珍しい楽しみですね。」


無銘の者「まぁ、これはいつも大抵、ほんの僅かの示唆に留まるものなのだけれどもね。それにまた、謎が深まって終わることもある。しかしそれ自体が楽しいのだ。」


ナパレ「なるほど、では今回は私がその相手を致しましょうか?」


無銘の者「それはありがたい申し出を頂いた。なにせ今もなお、私の頭の中では様々な取るに足らない雑念が、どうしようもなく心を捉えているのだからね。」


ナパレ「それが何かを言っていただけると、頑張って私も考えてみたいと思いますが。」


無銘「とはいえ、まだそれが私の心の中で、どのような疑問なのかすら、完璧に言語化出来ないでいるのだよ。だからまず、問うことから初めて見る。問いがわからないまま、それでも何かを問い始める。その過程で徐々に『何がわからないかが分かってくる』。私はいつもこのようにしているのだ。」


ナパレ「なるほど。では何をまず、何から問うのでしょうか?」


無銘の者「ふむ。では君は数学や物理、その他数式を用いて真理を見つけようとする学問を、学んだことがあるかね?」


ナパレ「はい。少しですが。」


無銘の者「ところで、よく数式の本質は計算ではなく言語だと言われるが、君はどう思うかね?」


ナパレ「はい。言語の一種だと思います。」


無銘の者「君のいうそれは、言語が文字のならびによって何かを語るのに対し、数式も同様に、記号という文字の組み合わせを解くことによって何かを語るという類似によって、ということだね?」


ナパレ「その通りです。」


無銘の者「また言語も数式も同様に、何かを伝えようとしているということも類似している、そのこともだね?すなわち仮定をおいて、ルールの元でそれを解き、結論が導き出されるというやり方によって伝えられるという点で。」


ナパレ「それもまたその通りです。」


無銘の者「そうだとすると、数式が言語である、というのは、やはりおそらく、正しいのかもしれない。」


ナパレ「と仰られるということは、何か引っかかっていることがあるということですか。」


無銘の者「わたしにはどうも、数式を解くことが脳の言語野を使っているようには思えないのだよ。すなわち、数式が言語だとすると、君とわたしとのこの対話のように、何かを相手に伝えようとするこの感情の沸き起こりみたいなものが発生してくるように思うのだが…君はどう思うかね?」


ナパレ「わたしには、あなたがおっしゃりたいことがどういうことか、まだよく分かっていません。」


無銘の者「これは全く些細な疑問なのかもしれないよ。すなわち数式を言語と呼んでいいのか、という疑問なのだ。そこで君に『言語の目的とは何か』を聞いてみたいのだが。」


ナパレ「私はそのようなことをまったく考えたことがありません。むしろ無銘の方はどのように考えるのですか?」


無銘の者「『文字列を組み合わせることによって、なんらかの意思疎通を図ること』、わたしにはこれが言語の目的であると思われる。」


ナパレ「それは確かにそうかもしれません。」


無銘の者「そこでだ、数式は意思疎通を図っているのだろうか?」


ナパレ「先ほど無銘の方が仰られたとおり、『仮定をおいて、ルールの元でそれを解き、結論が導き出される』という点で、意思疎通を図っているのではないでしょうか?」


無銘の者「そこなのだ。そこでナパレ、君に聞きたいのだが、我々は数式を解いたり、計算をしている時に『意思疎通を図ろう』と思っているだろうか?すなわちまさにそのことを意思しているだろうか、ということなのだが。」


ナパレ「それはしていないと思います。」


無銘の者「そうだろう。僕の予想では、そのとき君は意思疎通を図ろうとは思わずに、ただ計算を解いている。そうではないかね?」


ナパレ「その通りです。」


無銘の者「そして問題なくそれが解けると、結果が現れるのだ。そしてこれが、意思疎通におけるハンマーステートメントとして現れている。」


ナパレ「どういう意味でしょうか?」


無銘の者「つまり、計算過程そのものは、ただルールに従って…すなわち1+1が2になることとか、マイナスとマイナスの掛け算がプラスになることとかを厳密に守り、そのルールから逸脱しないように慎重に歩みを進める行為であって、それは意思疎通ではなく、本当に言いたいことというのは、それらが終わった後の結果に現れている、ということだ。」


ナパレ「確かにそうかもしれません。」


無銘の者「だがね、君、そこを立ち止まって、よくよく考えてみたまえ。」


ナパレ「何を考えれば良いのでしょうか?」


無銘の者「計算を始める前の仮定、そして計算中、そして計算の結果とそれらを並べた様子を思い浮かべてみたまえ。それに対して我々は、意思疎通を図ろうと思っている箇所があるかね?」


ナパレ「もう少し詳しく教えて下さい。」


無銘の者「つまり、結局これらを並べてみても、『意思疎通を図るための手段として計算が使用された』としか思えないのではないか?つまり、そこに意思疎通を図ろうという意思そのものはなく、それが、『結果として』意思疎通を担うことになった、ということが後から知らしめられるのだ。」


ナパレ「なるほど。つまり、計算前の仮定や、計算中、そして計算の結果が出るまでの一連の流れの中には、意思疎通を図ろうという思いがあるというよりは、ただルールに従って理論を積み重ねる行為、それだけがあるということでしょうか?」


無銘の者「そのとおりなのだ。」


ナパレ「なんとなく理解できたような気がします。」


無銘の者「となると結局、君!我々の定義で行けば、やはり数式は言語の目的を達成していることになる。なぜならば『文字列を組み合わせることによって、なんらかの意思疎通を図ること』、これが言語の目的の定義だったのだからね。」


ナパレ「そうでした。その通りです。」


無銘の者「となると、我々にはいまや何が明らかになったのだろうか?それとも、我々はただの堂々巡りをやったのだろうか?」


ナパレ「そんなはずはありません。ですが、それがなんなのかが私にはよくわかりません。いま何が明らかになったのでしょう。」


無銘の者「私にはこう思われる。つまり、いわゆる普通に話される『ことば』としての言語と、数式としての言語では、その使用の際、意思疎通を図ろうという思いが乗るタイミングが違うのだ。」


ナパレ「どういうことでしょうか?」


無銘の者「ことばとしての言語の場合、それが使用されているまさにその時に、『意思疎通を図ろう』という思いがあるのではないかね?」


ナパレ「その通りです。」


無銘の者「しかし数式としての言語を使用する場合は、その意思疎通を図ろうという思いは、ルールを行使しているその最中には、まったく現れてこないのであった。」


ナパレ「なるほど、よく理解できました。」


無銘の者「我々が知ったのはつまりこのようなことだ。数式を解く計算の一連の過程に意思は介在せず、数式の使用のために定められたルールと、その機能が我々を導くのだ。だから、その一連の流れの中においては、いわゆることばを話す際の脳の領域はあまり使用されないといえるのだ。」


ナパレ「そうなると、数式を使用する能力と、ことばを使用する能力は、別のものということでしょうか?そしてそれはいままで言われてきた違いに由来すると。」


無銘の者「その通りなのだ。さらに言えば、ことばのルールと、数式を守るルールは全く別ものであるということも言えるだろうがね。」


ナパレ「よく分かりました。」


無銘の者「さらに数式のルールは、普段の生活で使用されることばのルールほど、自然に身につくものではない。」


ナパレ「日常生活では、会話ほどには、数式は使用されませんからね。」


無銘の者「そして数式のルールは、学問が進歩していくにつれ、更新されていくのだよ。そしてそれを日々学び、訓練しなければ、正しく使用しつづけることは困難なのだ。」


ナパレ「その学習に意欲がある人と無い人とでは、全く数式を解くレベルが異なってくるのも当然です。」


無銘の者「その通りなのだ。さて、これを最後に、分かりやすく何かに例えてみることにしようではないか。」


ナパレ「何に例えるのでしょう。」


無銘の者「なんでも良いのだが…まぁ、うまい例えではないかもしれないが、とりあえずサーカスに例えてみることにしてみよう。」


ナパレ「どのように例えるのですか?」


無銘の者「『ことば』の使用をサーカスで言うところの指導や対話に例えることにする。そうすると、数式を解く行為は、サーカスをおこなって、成功させる行為そのものに例えることが出来るだろう。」


ナパレ「どういうことでしょう?前者の説明は、確かにそのままその通りだとは思いますが。」


無銘の者「後者は、失敗することなく綱渡りを成功させる行為に集中している。そして成功か失敗かが、結果として示されることになるが、その結果の可否は訓練によって異なる。彼はサーカスでの指導の効果を、その一連の過程で示すだろう。そして、その結果が示された時には、彼が指導者に伝えることはもはやそこに何も残ってないのだ。彼は語り終えたのだから。」


ナパレ「私には分かりやすい例えです。そして、とても面白いお話でした。」

 

無銘の者「だがね、ナパレ。安心してはいけないよ。いま我々は、ことばと数式が、『言語の目的』による一致を見た。しかし、『言語そのもの』としては、両者は全く異なるものだということが明らかにされたのだ。」

 

ナパレ「確かにその通りです。」

 

無銘の者「では次に問うべきは『言語とは何か?』という事であろう。ことばも、数式もひっくるめた上でね。」

 

ナパレ「これはまた厄介な問いですね。」

 

無銘の者「その通りなのだ。そしておそらく、これは非常に困難な対話になるだろう。だからこれを話すのはまた今度にしよう。流石に私も疲れたからね。」

 

ナパレ「それでは、また次の機会を楽しみにしています。」

 

2019年 個人的映画ランキング〜Kの思索(付録と補遺)vol.102〜

大量の軍勢が今まさに激突しようとしている。ナパレはその風景を見ていた。

 

一方のリーダーは青い服に身を包んだ人間、一方のリーダーは、人間ではない。


ナパレ「なんだこれ?

 

K「今まさに、お互いの『正義』が激突しようとしているね。」

 

ナパレ「うわ!なに!」

 

K「この展開はぼくも予想してなかった。こんな形で語ることになるなんてね。

 

ナパレ「…なに?ていうか、あなた誰?」

 

K「君に生み出されたのさ。まぁそんなことは良い。とにかくこの戦いを、安全な客席で見届けようじゃないか。」


「アッセンブル」


その掛け声とともに両軍が走り出した。

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金属の防護服に身を包んだ者もいれば、モンスターのような姿をしたもの、手から糸を出したりするものなど、多種多様な人種が、各々の能力を発揮して激戦を繰り広げる。


K「アベンジャーズ、そのエンドゲームと呼ばれる世界だよ。

 

ナパレ「よくわからないけど、あの緑のハゲたデカイ人がメチャクチャ強いね。」

 

K「サノスと呼ばれている。『絶対なるもの』という意味だ。彼の正義は、宇宙の平和と秩序を保つことにある。」

 

ナパレ「いい人なんだね。

 

K「それを実現するためには、全宇宙の人口を『半分』に抹消しなければならないと言っている。」

 

ナパレ「意味がわからない。」

 

K「地球の人口爆発と一緒さ。限りある土地に人間が増えすぎればどうなると思う?」

 

ナパレ「みんなで一緒に協力して、なんとかすると思う。」

 

K「サノスと戦っている人たちはそう思ってるかもね。でもサノス自身はそうは思ってない。結局みんな、自分が生き残るために、限りある土地を奪い合うと考えている。そしてそれは、おぞましく凄惨な戦いになると。」

 

ナパレ「ネガティブだなぁ。」

 

K「だからそうなるまえに、人口を減らせばいいってサノスは考えたんだよ。」

 

ナパレ「でもこうして結局、争ってるじゃない。」

 

K「無作為に消される方はたまったもんじゃないからね。」

 

ナパレ「でも本当にあのサノスって人は強いね。集団相手にほとんど一人で戦ってる。」

 

K「普通の人とはかけ離れた、壮大すぎる信念や理想を持つ人さ。ストイックなんだよ。ナパレはサノスが正しいと思う?」

 

ナパレ「ある一面ではね。」

 

K「じゃあ、そのもう一方の一面としては、彼のどこが間違ってると思う?」

 

ナパレ「うーん…他のみんなが納得してないから。

 

K「てことは、ナパレは、『正しい』ことかどうかは『他のみんなが納得してるかどうか』で決まると考えてるんだね」

 

ナパレ「そうとはいわないけど…でもやっぱり、なんでサノスにそういう大きなことを決定する権利があるの?とは思うよ。」

 

K「頑張ったみたいだけど、この戦いはサノスの負けみたいだね。」

 

ナパレ「まぁ、勝手に好き勝手やろうとした人の自業自得なんじゃないかな。…なんだかかわいそうな気もしたけど。」

 

K「その違和感が、最後にもう一度、極度な形で現れるだろう。」

 

ナパレ「最後?」

 

K「5位、アベンジャーズエンドゲーム」

 

ナパレの視界が暗転した。

 


気付くとナパレは丘の上の神社にいた。夕焼けが眩しい。二人の男がそれを見ながら話し合っている。一人は普通に黒の学ラン、一人は…真っ白な学ランだ。

 

K「いい感じの雰囲気だね」

 

ナパレ「…この『感じ』にも慣れたよ。なにか普通じゃないことが起きてるってことにね。」

 

K「見てごらん。彼らの間に友情が結ばれたようだよ。」

 

ナパレ「みんなこういう風にして、前みたいな争いもなくなっていけば良いんだけど。」


直後、今度は争いの真っ只中に放り出された。

 

ナパレ「うわ、やばい!」

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K「こっちだ!」

 

Kはナパレの手を引っ張って浅い川を越えた。

 

K「こっちなら、三途の川の向こう岸、といったところか。」

 

ナパレ「どっちがあの世だろうね。」

 

K「冗談を言える頭があるねぇ。この場合はどちらもあの世だ。今度のこの状況をどうみるかね?」

 

ナパレ「不良高校生って感じの人たちが殴り合ってる…それにしても大規模だなぁ。」

 

K「もっと注意深く見てごらん。」

 

ナパレ「あ、さっきの二人が戦ってる!どうして?」

 

K「お互いに、仲間を傷つけられた事に憤ってる。入院患者まで出しているみたいだ。」

 

ナパレ「さっきあれだけ仲よさそうだったのに…あ!トラックが突っ込んだ。」

 

K「戦いが止まったね。青バンダナの男が呼びかけている。どうやら原因は他にあったようだよ。両者は思い違いをしていたらしい。」

 

ナパレ「まったく…喧嘩は良くないね」

 

K「彼らは間違ってるかい?」

 

ナパレ「なんでも暴力で解決すれば良いって安直な考えが嫌いなんだよ。」

 

K「きみの友人や愛する人が、例えばバットで襲われたとしても、考えは変わらないだろうね?」

 

ナパレ「すぐそういう極論をいう。」

 

K「物事の本質を見極めるために、極論を放り投げてみることが発見につながるものなのさ。

 

ナパレ「極論がはたして本質に繋がるか、僕は微妙だと思うけどね。極論が明らかにするのは、極論だけだと思うな。」

 

K「きみ、そうやって噛み付くと、色んな人から嫌われるよ。屁理屈言うなってね。」

 

ナパレ「屁理屈じゃなくて、正論だよ。」

 

K「まぁ僕はそういうのが嫌いじゃないのだけど、生きにくいだろうねぇ。」

 

ナパレ「別に彼らの気持ちが間違ってるとはいわないよ。それを暴力に頼るのがよくないってだけで。」

 

K「気持ちは間違ってないと思うんだね。」

 

ナパレ「そうだよ。」

 

K「でも彼らはその行動を、結局、喧嘩に移してしまったわけだ。喧嘩は悪だと言ったね?」

 

ナパレ「うん。」

 

K「では結局、その悪を生み出した『気持ち』も、悪ではないのかね?それがなければ喧嘩もしなかった、という点でいえば。」

 

ナパレ「気持ちが正義で、行動が悪だということもあるよ!

 

K「彼らは頭が良くないからね。喧嘩の他に思いつかないんだろう。」

 

ナパレ「頭がよくないって…。」

 

K「ナパレ、君は賢いから、そういう人の気持ちが分からないんだろうね。それとも、彼らに向かって、頑張って賢くなれというかい?」

 

ナパレ「努力はすべきだよ。

 

K「もちろんそうだ。ただ努力で追いつけないものもある。君が車の速度で走ろうと思って練習しても、いつか身体の方が壊れてしまうだろう。

 

ナパレ「車になれなくても、そうなろうとする気持ちを持ってやるのが大事なんだよ。」

 

K「その結果、自分の体が壊れてしまっても?

 

ナパレ「そうなるかは、結局やってみなければ、わからないじゃん。自分が『車だった』と気付くかもしれない。

 

K「やってみて、結局、取り返しがつかなくなっても良いのかい?」

 

ナパレ「そんなこと考えてたら、一生何も出来ないよ。

 

K「君の言葉は元気さに満ち満ちているねぇ。みんながそうだといいのだけど。とはいえ一般論として、気持ちが間違ってないのに、行動が悪になってしまうことがある。その人にはそれしか選択肢がないってこともある。その場合、彼は間違っているのだろうか?

 

ナパレ「ぼくは、そこに答えはないと思う。

 

K「4位、HiGH&LOW THE WORST。」

 


気付くとナパレは駅に居た。丘の周りに添うように道が続いている。その道の奥に、祈りを捧げる少女の姿がある。

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K「雨だね。」

 

ナパレ「雨よりも!なにここ、街全体が沈没してるみたいなんだけど。」

 

K「向こうに祈る少女の姿が見えるだろう。街がこうなってしまったのは、彼女のせいなのさ。」

 

ナパレ「随分と迷惑な子だね。もしかして、祈れば許されると思ってるのかな。」

 

K「罪を償うための選択肢が、もはやそれしかないのだと思うよ。」

 

ナパレ「なにがどうなって、そんなことになったのか、よくわからないけど。」

 

K「彼女は『世界よりも自分を優先した』のさ。いや、語弊があるな。むしろ強引に引っ張り込まれた、というのに近い。」

 

ナパレ「誰に?」

 

K「彼女に向かって走っていく男にさ。」

 

ナパレは世界を壊した男女が抱き合う様を見た。

 

ナパレ「でも、なんだか、ハッピーエンドって感じだ。

 

K「ここがエンドロールだからね。とはいえ、ハッピーエンドかは、どうかな。世界は壊れてしまってるわけだからね。その意味ではバッドエンドといえなくもない。

 

ナパレ「でもぼくは、祝福の雨って言いたくなるね。あの二人の様子はなんか美しいな。」

 

K「メッセージが風景として具現化しているのさ。それがこの世界だからね。」

 

ナパレ「世界よりも自分を優先するって、そんなに悪いことなのかなぁ。神様じゃないんだから。

 

K「まったくさ。でもそういうのはエゴだと言って否定するのが常だろう?」

 

ナパレ「エゴかもしれないけど、神様じゃない限りは、エゴなんて消えないよ。」

 

K「彼らのやったことは間違ってるだろうか?」

 

ナパレ「もう間違ってるとか、正しいとかじゃ、ないんじゃないのかなぁ。

 

K「というのは?」

 

ナパレ「うまく言えないけど。なにが正義かとか、そういうことじゃないっていうか。そういう冷めた定義の問題じゃないというか。

 

K「3位、天気の子。」

 

 

一人の男がギターを弾き語り、その側に楽しそうに笑う女性が座っている。

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ナパレ「仲よさげなカップルだなぁ。」

 

K「カップルではないし、仲が良いかも微妙なんだけどね。」

 

ナパレ「でもあんなに楽しそう。」

 

K「昔に戻ってるんだよ。音楽は過去に行ける唯一の装置さ。

 

ナパレ「あれ、あそこにもう一人女の子がいる。」

 

K「どうやら彼女は、完全に気づいてしまったようだよ。」

 

ナパレ「何に?」

 

K「自分の気持ちが間違っている、ということにさ

 

ナパレ「さっきと逆だ。」

 

K「そうだね。でもなんとかそれに折り合いをつけようとしている。」

 

ナパレ「なんだか美しいなぁ。」

 

K「これまで見てきた通り、間違ってると知りながらも、それを選ぶ気持ちも美しい。反対に、間違っていることを自覚して、それを捨て去る気持ちもまた美しい。

 

ナパレ「反対のこと、どちらも美しさを感じているって変じゃない?」

 

K「実は反対じゃないのかもしれないよ。その本質は一緒なのかもしれない。」

 

ナパレ「なんだか難しいなぁ。」

 

K「2位、空の青さを知る人よ。」

 


紫色のスーツを着た男が車椅子に座っている。少し離れたところで、グリーンの雨衣を着た男と、上半身裸の男が対峙している。


K「先に見てきた戦いの中でも、最も象徴的で、もっとも純粋な争いさ。」

 

ナパレ「純粋?」

 

K「彼らには正義も悪もない。ただ自らの使命に従っている。自らが生まれ持った性質に気付き、ただそれを実行しているのさ。」

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ナパレ「え?では何のために彼らは戦うの?」

 

K「つまり、目的ではなく、そもそも目的がないのだ。ただただ彼らは、その使命に従っているんだよ。そしてその使命の中にいることで、悲しみを消すことが出来る。」

 

ナパレ「よくわからない。」

 

K「全てはミスターガラスのマスタープランだったのさ。みんなが己の『使命』に気付くためのね。」

 

ナパレ「使命に気付くとどうなるの?」

 

K「己の存在意義がわかるのさ。そのためにミスターガラスは、何百人という人を殺さなければならなかった。」

 

ナパレ「何百って…存在意義ってそんなに大切?」

 

K「ほかの人との乖離を感じない人であれば、存在意義なんて要らないだろうし、そんな発想にも至らないはずだ。」

 

ナパレ「その乖離を感じる人って、どういう人のこと?」

 

K「何らかの場合でほかと違う人のことさ。マイノリティのことだよ。」

 

ナパレ「マイノリティの人には存在意義が必要なの?」

 

K「彼らは基本的に少数派だ。多数派に排除されがちなのさ。そういう生活を送っていると、どうなると思う?」

 

ナパレ「わからない。」

 

K「自分がこの世界にいる意味がわからなくなってくるのさ。自分なんかいなくなってしまえば良い…そっちの方が世界が円滑に回るだろう、そこまでの思いに苦しむ人もいる。」

 

ナパレ「それは…サイテーの気分だろうね。」

 

K「けれど、彼らがもし自らの使命に気付くことが出来たら…自分の存在意義がわかるし、『自分なんてこの世にいない方がいいんじゃないか』なんて苦しみから、解放してあげることが出来る。

 

ナパレ「そのために、何百人もの人を殺した。」

 

K「このメッセージは強烈なんだ。」

 

ナパレ「これまでの中で、もっとも純粋で、もっとも危険なメッセージを孕む世界…。」

 

K「ただミスターガラスの頭には、正義も悪もないし、そもそもそういうマイノリティを救おうとかも考えてないかもね。ミスターガラスは、このマスタープランの実行こそが、自らの使命だと信じているだけ。それが実行されることで、自己の存在を証明する、それだけなんだ。」

 

ナパレ「恐いよ。てことは、個々人が『使命に気付くこと』そのものが、もはやとても危険だということでは?

 

K「まさに。だけどそれを承知の上だろうね。」

 

ナパレ「なんて人だ。それでも使命に目覚めろっていうのか。」

 

K「彼にとってはそれが存在の証明なのさ。」

 

ナパレ「理解されないだろうね。」

 

K「1位、ミスターガラス。」

 

ナパレ「ひと段落!」

 

 

ナパレ「いろんな世界を見てきたけど、何か共通してるものがある気がする。」

 

K「それはそうだろうね。何が共通してると思う?」

 

ナパレ「間違ってるとか、正しいとかじゃないってこと」

 

K「何が優先されてるのかな?」

 

ナパレ「信念とか使命みたいなものかな。あとは苦悩している人間の思想は、それがどうであれ肯定してる。ちょっと危険な感じ。

 

K「君と対話出来て良かった。さすが名付け親だ。君が僕を生んだってことがよく分かったよ。」

 

ナパレ「結局、これはなんだったの?」

 

K「ただの総まとめだったのさ。これまでのね。」

真理らしい何かを見つけるためのプロセス 他〜Kの思索(付録と補遺)vol.101〜

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【真理らしい何かを見つけるためのプロセス】

物事に真理らしい何かを見つけようとするプロセスは、まず二者択一の質問に落とし込んで吟味していくのが良い。すなわちAかBか、である。

 

そしてもしどちらかの解が得られたら、今度はその解に対してさらに二者択一の質問を投げかけるのだ。これを満足するまでどんどん続けていく。

 

しかしもし、その吟味の結果、AでもBでもなかったとする。

 

その場合、考えられるのは別の解C、もしくは、「解なし」である。ここで注意しなければならないのは、二者択一の質問に落とし込んだ以上、それが否定されたとなると、真っ先に「解なし」に飛びつきたくなることである。

 

もし飛びつきたくならないのであれば、二者択一の設定が甘いのである。最初から第3の選択肢が考えられるような甘い設定では、このような吟味の方法をとる意味がない。

 

とはいえ選択肢Cも吟味してもらわなくてはならない。

 

例えば「動くか」「動かないか」という二者択一を与えたとする。しかしそのどちらも否定されたとする。すると、「動くし、動かない」という自己矛盾の状態に陥るため、そんなものは無い、すなわち「解なし」としたくなる。

 

だがそれら両方が成立する選択肢Cが本当にないかを探さなければならない。

 

「動いているのでもなければ、止まっているのでもないような状態があるだろうか?あるとすれば、それはどのような時間においてか?」

 

この場合の選択肢Cが見つかるとすれば、それは「忽ち(たちまち)」という、瞬間においてのみだろう。

 

静から動に移るその瞬間である。限りなく0だが、決して0でないその忽ちにおいてである。まさに無限小を仮定する微積のような考え方だ。

 

さて、それでもCとなるような選択肢が見つからなかったとしよう。すなわち「解なし」である。だがここでも立ち止まってはならない。

 

最後に検討するべき事項は「なぜ解がないのか?」である。

 

そしてこの解のない理由が分かった時には、もっとも深い驚異(タウマイゼン)が与えられるだろう。

 

【べき論を乗り越え、実行へ】

橋下徹著「実行力」を読む。大阪都構想という大目標の実現に向けて、自らのマネジメント哲学をぶつけまくったストーリーとして面白い。役所版の破天荒フェニックスだ。

 

「べき論」は、ときにハッとした気づきを与えてくれるかもしれない。しかし多くの場合は「そんなこと分かっている、しかしそれが実現できないから難しい」という状況ではないだろうか。

 

べき論だけでは殆どなにも実現しえないこと、誰もがその「べき論」を知りながら実行に移せないこと。それはなぜか?がよくわかる一冊。

 

ここに「綺麗事」は一つも書かれていない。「実行」の哲学は血まみれで泥臭く、エネルギッシュでなければなし得ないことを学べる一冊。

 

【株式の長期保有の重要性】

わかりやすく「スロット」で例えると、いかに株式の長期保有が重要なのかよく分かる。下のグラフを見てほしい。回転数を「100年(!)」とするなら、米国S&P500指数はこの通りになってる。

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これは6確であろう。スロット上級者であれば絶対に手放さず、ひたすら閉店まで回し続けるのではないか。

 

冗談はさておき、この中には「世界恐慌」も、「キューバ危機」も、「オイルショック」も、「ITバブル崩壊」も、「リーマンショック」も全部含まれているが、これくらい長期のスパンで見ると殆ど見えないか「一時的に少し下がった」くらいのものになる。

 

歴史が教えるのは、指数(インデックス)に投資するのであれば「出来る限り、何があっても離さず持ち続けろ」ということであり、「暴落時ほど嬉々として買い増せ」ということだ。

 

注意として、日本の話をしよう。失われた30年というやつである。すなわち日本の土地バブルの時に全ツッパした人は、それから30年経ってもまだマイナス域かもしれないのだ。下の図をみよ。

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とはいえ、やはり日経平均指数も、100年スパンで見れば明らかに上昇方向である。このスパンで見ると、失われた30年を産んだ土地バブルすら、ノイズの一部のようになってしまう。

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すなわち「明らかな暴騰時に浮ついて買い増すな」である。

 

たとえば仮想通貨も、バブル頂点で買った人は数年、もしかしたら数十年単位でマイナス域のままだろう。

 

バブルかそうでないかの見極めは、PBRやPERによるファンダメンタル的な分析による判断がやはりベターだ。

 

また「靴磨きの少年が株の話をしているのを聞いて、バブルの天井を察知した」というジョセフケネディの逸話は重要。

 

すなわち、ニュースで相場の話が時間を多くとって流れるようになり、あちらこちらで相場の話が聞こえてきて、そして最後には普段投資や投機をやらなそうな層まで市場へ飛び込んでくる。こうなるとバブルの終わりは近いといえる。

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