映画「ペンギンハイウェイ」を語る!~ Kの思索(付録と補遺)vol.60~
※ネタバレがあります
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映画「ペンギンハイウェイ」を観てきた。原作は「夜は短し歩けよ乙女」等で知られる人気作家・森見登美彦による小説。日本SF大賞を受賞している。
この映画は、「子供から大人への一歩」というテーマが中心に図太く据えられている。ペンギンハイウェイとはすなわち「大人の階段」と言って良い。だからペンギンは未熟な子供のメタファーである。未だヨチヨチ歩いているのである。
主人公である少年は、正に子供から大人への一歩を踏み出そうとしている。彼は科学の徒であり、既にかなり勉強していて知識も豊富だ。とはいえ「大人になったらぼくはどれだけ偉くなるだろう」と繰り返す。その表現が絶妙にまだまだ子供である。同時に「大人になりたい」という背伸びも現れている。
そんな子供から大人への一歩を踏み出そうとしている少年は、ヒロインであるお姉さんから目が離せない。特に気になるのが、お姉さんの大きな胸である。少年はその意味にまだ気づいていない。「お母さんの胸とは違う気持ちがする」程度にとどまっているのである。
つまりヒロインであるお姉さんは、母性と女性の二つの象徴なのである。少年はその大きな胸に子供の感情である母性性と、大人の感情である女性性を見ているといえる。だがそれはまだ未知であり、子供から大人への自覚の芽生えなのである。
また、お姉さんは少年の歯を抜くという役目も担う。歯が抜けるというのは大人への移行である。これにより本映画において、このお姉さんが少年の成長に決定的な影響を与えることが予想される。
対して、お姉さんがペンギンを生み出せるのは、大人への移行を阻む象徴なのである。ちょうど、「魔女の宅急便」においてキキが空を飛べなくなるのと似ている。そして、だからこそペンギンは子供の象徴なのである。故にペンギンもお姉さんも遠くには行けない。「遠くに行く」というのは大人のやることだからだ。それはペンギンには出来ないし、ペンギンを生み出し、同時に喰らうような大人への脱却を躊躇するお姉さんでは不可能なのだ。
しかしながら、大人になりたいと願う子供は「遠くに行きたい」と思うものである。子供が「秘密基地」を作るのはその衝動が変質して現れ出たものだ。つまり、物理的に遠くへは行けない子供が、隔離された秘密の空間を持つ事。すなわち近場において秘密基地を持つ事で、仮想的に「遠くへ行きたい」という大人への衝動を満たすのである。
この映画では、そんな秘密基地的な場所に、大きな謎が浮いている。巨大な球体の水が、空中に鎮座しているのだ。未知なものにワクワクするのは子供も大人も変わらない。しかし秘密基地はいつも大人に壊されるのである。
子供たちの純粋な研究の場であった秘密基地が、まずは悪ガキ達に荒らされ、そしてヒロインのお姉さんが入り込み、最後に大人の象徴である「親」が奪い取って破壊するのである。子供→大人への流れが此処にも現れている。
そしてこの巨大な水の球体の謎を解き明かすことがこの映画の目指すべきゴールとなる。少年は大人と謎解きを競う。「偉い大人」になるには、大人に負けられないのだ。この謎を解き明かした時、少年はきっと大人になる。
映画のクライマックス。ヨチヨチ歩きだったペンギンが、大人の階段であるペンギンハイウェイを滑るように疾る。少年とお姉さんはペンギンに連れられ、猛スピードで大人の階段を登っていく。その終着点には、正に秘密基地を破壊した大人達が待っている。
ここに至っていよいよもう少年は、大人への一歩を踏み出す時が来た。しかしそれは同時に、お姉さんとの決別をも意味する。お姉さんを母性性でなく、女性性で得るためには、少年はまだ若すぎるのだ。その一方で、いい加減母性性からは脱却しなければならないのである。
少年は最後に、お姉さんの大きな胸に抱かれることになる。この時の胸は、母性性の極みである。赤子が母に抱かれる様である。そして少年は、これを子供時代の区切りとして、お姉さんと別れるのである。そして子供の象徴であるペンギンも消えたのだった。
しかし永遠の別れではない。少年が本当に大人になったら…男として、お姉さんに相応しいくらい「偉く」なったら。その時は、再びお姉さんに会えることだろう。今度は完璧な女性性の象徴として。その時のために、少年はまだまだ頑張っていくのであった。
END.