Kの思索(付録と補遺)

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正しい保険の使い方!~ Kの思索(付録と補遺)vol.43~

(この記事、本当は「搾取されない生活のための知識」というような記事で紹介しようと思ってたテーマの一つだったのだが、予想以上に多くを語ることになったので、一本の記事として公開することにした。)

 

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 はっきり言わせてもらうが、保険なんて入る必要がない(タイトルへの反逆!笑)。でも、本当にそうなのだ。保険をありがたがっているのは日本人くらいだ。アメリカ国民なんかは投資意識が高いので、保険に入るくらいならそのお金を投資に回している。


 特に会社に入りたての若い社員は、よく保険のおばちゃんが待ち構えていて、何も知らないのをいいことにホイホイと保険に入らされてしまう。あれは本当に悪だ。まぁ無知も悪なのではあるが。


 保険というのは基本的にギャンブルである。そして多くの人が負けるギャンブルだ。勝てば(病気や事故に合えば)得をするが、そもそもそんなに病気や事故にあう人がいないからこそ保険会社は潰れないのである。周囲を見渡してみるがいい、華々しい保険会社の巨大なビルを!


 勿論、投資的な意味で昔の保険がまぁまぁ良い商品だったことは否定しない。積立の年金型保険は年率で3パーセントを担保されていたこともあったのだ。しかし今は企業型年金でさえそんな利率はないだろう。年金積立ならば、今はiDecoを使うのが最も賢い。


 さらにいうなら、自分がもし病気になっているときに、くそ面倒な保険手続きをするのは嫌じゃないだろうか。現金があるならそれをペイっと払ってしまえば終わりである。もし金額が高くなってしまっても、「高額療養費補助制度」や、「医療費控除制度」をフル活用すれば大抵はなんとかなる。


 では何故多くの人が保険に入るかというと、知識が圧倒的に足りないことに加えて、万が一が恐いからだ。人は万が一の事態を異常に恐れる生き物である。そして保険会社の起こりは、そもそもこの万が一に賭ける博打の胴元から始まったのである。


 万が一が恐いのであれば、能動的に、自ら対策を打てばいいのである。自分の人生を他人や会社任せにしてしまうから、搾取されてしまうのだ。万が一を億が一、兆が一にする対策を自らすればいいだけの話だ。投資をするでも良い。iDecoを活用するでも良い。常に自らを頼り、策を打たねばならない。


 沢山の医療保険に入ってる人が、毎日どれだけ自らの食生活を気にし、運動をしているだろうか?人間ドックは何年に一回行っているのだろうか?毎年払ってる保険代の半額で人間ドックが出来てしまう人もいるのではないか?


 沢山の自動車保険に入ってる人がどれだけ安全運転を心がけているだろうか?左折するときに、今でもきちんと目視で巻き込み確認を行っている人がどれだけいるのだろうか?タイヤの空気圧やエンジンオイルをこまめに確認しているだろうか?


 若くて独り身の人が、何故生命保険に入っているのだろうか?親のため?親のために保険に入るというのはおかしい。何故自らの命と生活費で、将来の親の生活を保障しなければならないのか。生命保険を支払う義務があるのはむしろ親の方だろう。


 そもそも保険とはれっきとしたビジネス商品である。消費者の視点で漫然と生きていると、保険に「入る」というような言い方をしてしまうが、本来であれば保険を「買う」と言うのが正しい。保険営業員はビジネス商品である保険を「売る」ことによって、自らの生活を成り立たせているのである。


 覚えておいて欲しいことは、もし保険に入るならば必要最低限で、かつネット保険を利用して入ることだ。人件費が浮く分、同じ保障内容でもネットの方がべらぼうに安くなる。


 また、せっかくなら入った保険を積極的に活用しようとすることだ。例えば自動車保険の中にはレッカー移動や牽引のサービスが含まれていることが多い。だからJAFを呼ぶ前にまず保険会社に確認してみることだ。


 そして家族が出来たならばある程度の生命保険に入っても良いだろう。親は子供の将来を守る絶対的な義務がある。というのは、道徳的なことを言うつもりはなく合理的に考えて、子供が出来た時点で親よりも子供の価値の方が絶対的に高いのである。体制が古く衰え行く会社よりも、若くて勢いのある若い会社に投資したほうが賢いのと同じことだ。


 他人任せは基本的に搾取されていると考えよう。他人に何かを任せる時は、それで自分の時間を買って、払ったお金が良い投資になっていると確信していなければならない。


 これが究極的に出来るのが今流行りの「多動力」の本質である。多動力はとにかく多方面に手を出すことではない。それでは犬かき力でしかない。むしろ多動力とは不動力であり、「自らは何をしなくて良いか、何を他人に任せることが最も良い時間投資か、その買った時間でどれだけ自らが没頭できる好きなことをやれるか」なのである。

 

END.