Kの思索(付録と補遺)

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暇なときほど趣味を忙しくするために 他〜Kの思索(付録と補遺)vol.100〜

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【暇なときほど趣味を忙しくするために】

暇があるというのは貴重なことだ。しかし、それを持て余してしまうと途端に悪になる。余計なことにお金を使ったりして、生産性のマイナスな行動をとることもしばしばだ。

 

とはいえ、暇が無ければなにも生産し得ない。だから暇があるという貴重さは、その両面を理解した上で大事にしなければいけない。

 

社会人は暇が少ない。

 

一般に多くの時間働きづめで、暇ができるといえば週に一度の休み、しかも平日忙しくてなにも出来なかった分の掃除や洗濯などの家事もあるだろうから、実際にそれらしい暇があるのは、週にたったの数十時間いうところであろう。この貴重な時間をどう使うか。

 

何か物事を極めようとしているときは、徹底してその目的以外を排除することが必要だ。

 

時間が限られている中で結果を残すには、結果を残すための行動以外をどれだけ切り捨てられるかが肝要だ。

 

では特にそういう感じでもない場合は、どうか。べつに切羽詰まってないから、ゆっくり休むのも良いだろう。

 

ただ、休む必要がないくらい心身が元気なのに、それ以上休むのは良くない。

 

そうなると上記したように、生産性がマイナスの行動をとることが少なくないし、なにより余計なことを考えるから鬱屈としてくる。日々動かしてない機械はすぐ壊れるが、人間も似たところがある。

 

それを防ぐにはやはり趣味をするのが良い。できれば知的趣味が望ましい。

 

時間がたっぷりある、趣味ができる、これ以上に幸せなことはない。だが不思議なことに、そういう時ほど趣味が捗らないこと経験をした人も多いのではないか。逆に時間が限られていたときほど、集中して趣味をしていた経験はないだろうか。

 

人はある程度の制約条件を課されることで集中出来るのである。

 

でも我々は、やはりもっと欲がある。すなわち時間がたっぷりある上で、しかも、たっぷりある時間を趣味でしっかりと集中しきりたいのである。どうすればそれが出来るか。

 

これは趣味のローテーションに一定の有効性がある。先ほど「なにかを極めるときはそれ以外を排除する」といったが、今度はその逆だ。

 

なぜといって、「時間がたっぷりある、かつ趣味」という状況では、一つに集中しようとするとあまりに余裕すぎるのだ。余裕すぎると、どうしたって飽きる。趣味をしているはずなのに退屈してくる。「ま、時間あるし」となってSNSに手が伸びる、「仮眠しよ」となる…気付けば夕方まで寝ている。

 

これを防ぐためには、趣味をローテーションすることで変化を与えてあげればいいのだ。

 

例えば食事も、一品をひたすら食べると食べ飽きしてくることも多い。そうならないために様々品数を揃えたり、はたまた味を変えたり、箸休めに手を伸ばしたりするだろう。それと一緒で、人間は変化を適度に与えることで、余裕と飽きと退屈から抜け出すのだ。

 

くりかえすが、趣味をくるくる回して、飽きたら次の趣味、飽きたら次の趣味としていくのが有効だ。多趣味の人はその点で有利だ。それによって、何か適度に忙しさのようなものを感じるようになれば凄く良い。適度な忙しさは充足感をもたらしてくれる。その趣味がしかも将来の投資になるようなものであればこれはもう最高だ。

 

【ポジティブトークの強さ】

希望的観測論ではないポジティブな論は、わざわざそれを否定するだけの必要性がないので、ポジショントークになりがちな批判論よりも、反論されにくいという点で強い論でありうる。

 

そしてポジティブな論に対して批判する人に対しては、集団心理としてその人に嫌気が向く。

 

もちろん反対意見は重要であり、時には批判をぶつけないと物事は維新されないこともある。それを踏まえた上での、集団討論の場における政治的な身の振り方として、ポジティブトークは有用である。

 

【ウィークリー落合シーズン3】

ウィークリー落合は私が毎週最も楽しみにしているコンテンツである。シーズン2も楽しかった。そして最近シーズン3が始まった。

 

とはいえ、ウィークリー落合のシーズン2では、色んなテーマがあったものの、それを結局「アップデート」に繋げる事によって、ビジネスに寄りすぎてしまった。

 

そうなると、「成功するにはどうするか?」みたいな議論の流れになり、強く生きるとか、行動大事とか、自分で考えるとか、同調圧力に屈しないとか、新しいことをするとか、ある程度の成功者ならみんなやっているような答えになってきて、マンネリ化し始めた感も否めなかった。

 

シーズン3はそこから真逆を向いた印象だ。

 

ビジネス的な成功というより、そもそももっと生活に根付いててかつ窮状にあるものに対して、それをどう解決するかを切実な問題として考えるという議論の場に変わった。

 

ある意味、経済的アッパー感はない。しかしこうした問題を考えるというのは時に金とは比較にならないほど重要だ。しかもまた、そういう議論はお金にとっても重要でありうる。

 

すなわち、どう金を使えば正しい使用となるか、そういう綱領ともいうべきなにかを生み出すためのそもそも論を構築しているとも言えるからだ。

 

プラトンのピレボス読了】

プラトンは「イデアのみ知る」人間が最善とは言ってない。人間の生活においてーーそれが生活である限りはーー必要な知識や技術も、それがイデアになんらかの形で劣っているモノ(不純物)だとしても混ぜ合わせなければならないと言っている。

 

それどころか、苦痛を伴わないという条件で快楽も混ぜる。

 

これは「ピレボス」に対話される思想だが、イデア思想があまりに離俗していることに思うところが出てきた老年のプラトンの葛藤が見て取れる。

(「イデアだけじゃ不十分」という若者の主張がプラトンに突きつけられる場面がある。)

 

そしてこれが最晩年の著作である「法律」へと繋がっていく。「国家」で議論されたような、イデアを識る哲人王統治という理想論的思想とは違って、もっとリアリスティックなところも考慮した論理が展開されていく。