Kの思索(付録と補遺)

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昭和16年夏の敗戦(猪瀬直樹著)を読んで~ Kの思索(付録と補遺)vol.130~

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あらすじ

【日米開戦前夜。平均年齢三十三歳、全国各地から集められた若手エリート集団が出した結論は「日本必敗」。それでも日本が開戦へと突き進んだのはなぜか。客観的な分析を無視して無謀な戦争に突入したプロセスを描き、日本的組織の構造的欠陥を暴く。】

 

昭和16年夏の敗戦、面白かった。第一級のノンフィクションは知的好奇心を満たすとともに、「物語」としても嘘がないのだから、これほど真に迫るものもない。


結局、トップオブトップの会議はセレモニーである。会社で言えば、社長承認印が押される頃には、承認されることがほぼほぼ決まっているのと同じだ。

 

そしてその意思決定は何によって決まるかと言えば、予算上、各権力分野に「安定な生活」が担保される方向、すなわち権力大衆の総意である。


だがそれは長期的に見て非合理的だったり、ムダが多すぎたり、国家に決定的打撃を引き起こす決定かもしれない。


もちろん最初は各々の部署のポジショントークから始まる。

しかしお互いに、抱える自部署の正論同士がぶつかるのだから、答えが出るわけもない。

では全体最適を判断するためにはどうするかと言うことで、彼らはデータ(数字)に頼ることになる。


しかしその「数字」も、結局は「なんとか戦争できそうか」ということを、会議の場で全員が腹落ちするための道具として使われた。


いわば客観的判断のためではなく、主観的判断に正当性を肉付けするために、使われた。


その根拠となる数字を提示した鈴木貞一企画院総裁は当時のことをこう語る。

 

「客観的だよ。戦にならないように、と考えてデータを出したつもりだ」

 

「企画院はただデータを出して、物的資源はこのような状態になっている、あとは陸海軍の判断に任す、というわけで、やったほうがいいとか、やらんほうがいいとかはいえない。みんなが判断できるようにデータを出しただけなんだ」

 

「戦争を何年やるか、という問題なんだ。仕掛けたあとは緒戦に勝利して、すぐに講和にもっていく。その戦はせいぜい一年か二年。そうすれば石油は多少残る、と踏んでいたんだ」

 

「海軍は一年たてば石油がなくなるので戦はできなくなるが、いまのうちなら勝てる、とほのめかすんだな。だったらいまやるのも仕方ない、とみんなが思い始めていた。そういうムードで企画院に資料を出せ、というわけなんだな」

 

「やるかやらんかといえば、もうやることに決まっていたようなものだった。やるためにつじつまを合わせるようになっていたんだ。」…


ではなぜやるの方向に傾いていたかといえば、当時の国家予算のおよそ半分が軍事費であり、その軍事費の半分が海軍に分配されており、戦争しないとすれば大量の失業者が溢れるからだった。


そういう軍の論理を、「国是」として押し通せてしまうのが「統帥権干犯問題」であり、明治憲法の欠陥であった。


ちなみに猪瀬氏はこの昭和16年夏の敗戦の問題を、今の政府のコロナ対策政治に当てはめ、会議の意思決定方針に関しては見事に当時の再現だと思えてならないと言っている。


さて昨今話題の東京オリンピックの招致メンバーの中には、著者である猪瀬元東京都知事がいた。

もともと、東京オリンピック2020の開催には7割の国民が反対していた。

しかし政治活動(高齢化社会における健康増進とオリンピックの繋がりが重大であることの意味づけ、および経済対策としての有用性を訴えたこと)により、招致時には8割が賛成となっていた。


しかし今、オリンピック支持率はまた3割近くまで下がっている。猪瀬都知事はこれを単に「コロナの影響」と見るなら見識が浅いと言っている。


「むしろただ招致前の割合に戻っているだけと見たほうが自然だ。

招致時には賛成8割まで引き上げた「何故やるか」という重要な意味付けを、もはや誰も深く考えていないし、それを訴えてもいないからだ」ーー