Kの思索(付録と補遺)

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High and Low Final Mission公開初日レビュー 「最高の卒業式だった・・・」〜Kの思索(付録と補遺)vol.12〜

 本日2017年11月11日、シリーズ最終章となるHigh and Low Final Missionが公開された。

 

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※僕は圧倒的に右側のポスターのほうが好きです

 

 High and Low(以下「ハイロー」)シリーズとは何ぞやという人向けに、既に記事を書いているのでまずこちらからどうぞ。

yushak.hatenablog.com

 

 上記の記事からもお分かりいただけると思うが、僕はハイローシリーズの大ファンである。よって今回の最終章に関してはまるで恋のようにその公開を待ち望んでいた。そしてその恋は成就すると同時に、別れを告げたのであった。

 

 今回の映画のテーマはズバリ「卒業」である。それはもちろんこの3年で6作続いたハイローというシリーズからの卒業であり、子供から大人になるという意味での卒業である。そして各チームごとに異なった卒業の形が語られることになる。

 

 まず山王連合会のリーダーであるコブラは「ただこの街を守る」という純粋な願いからチームを束ねている。汚い大人のやり方には屈することなく、常に拳で喧嘩をする。彼のその真っすぐな姿勢は、汚れた大人からみると非常に子供っぽくみえる。結果的にヤクザ率いる大人の喧嘩のやり方で、街は壊滅寸前まで追い込まれることになる。

 

 ちょっと考えてみてほしい。街を守る、とは自らの信念を貫くために喧嘩をすることなのだろうか。それは「想い」としては正しいのかもしれないが、現実的ではない。少し汚い金だとしても利用し、街を活性化させたほうが、結果的に「街を守ること」に繋がるのではないか。そういう理想と現実の狭間で葛藤するのがコブラである。

 

 そしてそんなコブラを拷問にかけるのがヤクザ、黒崎グループの黒崎君龍である。

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 コブラ生コンクリートを飲まされるという拷問にかけられるのは非常に象徴的だ。飲みたくもない要求を無理やり飲まされるというメタファーになっている(ちなみにこれ黒ゴマプリンらしい)。

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 そんなコブラをみる黒崎は、コブラの純粋な姿に昔の自分を重ねているように見える。俺にもこんな純粋な気持ちで行動していた時期があった、と懐かしむかのようだ。

 

 このテーマは別の人物によっても語られる。九龍グループの総会長である九世龍心だ。(演じるのは津川雅彦。その存在感は圧倒的だ。)

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 彼はこんなことをぼやく。

 

「昔は弱いものを守る立場だったのに、いつの間にか弱いものから奪う立場になった」

 

 ヤクザの歴史は長い。もともとは祭りごとを取り仕切る役割として成り立っていたものが、組織が大きくなるにつれ、組織の維持のために悪事に手を染めることになった。それが悪だからといってもう止めることは出来ない。組織には構成員がおり、構成員には家族もいる。それらを率いる側にも組織を維持する大きな責任があるのだ。

 

 つまり子供だけでなく、大人も本当は理想を貫いて正しく生きたいのである。コブラと黒崎の拷問における対峙はただのキツイシーンではなく、このように現実と理想に対する悲しくもどかしいメッセージ性をもっている。

 

 そして、正しくいきるという事に対して、コブラよりも葛藤している人物が琥珀さんだ。

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 琥珀さんは一度道を間違えた。そしてコブラ、九十九を始めとする元MUGENの後輩達による「どうしちまったんだよ琥珀さん!」「MUGENは仲間を見捨てねぇ」「俺らずっと待ってますから!」「帰ってきてくださいよ琥珀さん!」という熱い訴えの畳み掛けと拳の連打によって壊れたテレビを治すかの如くボコボコに殴られ、少なくとも狂気からは抜け出したのだった。

 

 琥珀さんには道を間違えたという自覚があり、その罪の意識を十字架として背負っている。正しく生きるということがどういうことかを分かっていながら、また道を間違えはしないだろうかと恐れている。

 

 よって琥珀さんがコブラに語り掛けるシーンはどれも、MUGENの元総長として、人生の先輩として堂々と語り掛けているようには見えない。彼もまたコブラ以上に正しく生きることに対して悩んでいるのだ。むしろコブラの中に灯る純粋な理想の火を、自分の中にも投影することで勇気を貰っているように見える。

 

 そのようなテーマ性はまた黒崎の右腕である’’ターミネーター’’源治にも見られる。

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 源治は黒崎を尊敬しており、黒崎の指示であれば愚直に忠実に従うというキャラクターだ。本作でコブラと直接対峙した黒崎は、前作のエンドオブスカイよりも葛藤が生まれている。よってその影響はダイレクトに源治にも伝わっていることが読み取れる。

 

 何故なら源治の刀に注目してほしい。前作ではノコギリ刃に九龍グループの紋章が鍔に刻まれたものを使っていたが、今作では全く違う。

 

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 見ての通り、今作では「無地の柄」であり、「真っすぐな刀身」となっている。エンドオブスカイと同時平行に撮られたシリーズであるにも関わらず、黒崎がコブラと出会う前と出会う後でわざわざ刀の形状を変えているというのは、そこに何らかの意図があるからだ。刀の形状に、源治の態度が反映されているのだ。拳銃が大人の喧嘩であり、拳が子供の喧嘩だとするなら、刀はその狭間で葛藤する態度であるといえよう。

 

 またこのことは、二階堂というキャラクターがナイフでスモーキーに対峙することからも見て取れる。二階堂はかつてスモーキーの「家族」であった。彼もまた、家族と九龍の狭間で葛藤しているのだ。

 

 対するスモーキーは、二階堂とは対照的である。そして琥珀さんやコブラとも違う。彼は葛藤していない。微笑み、満足げだ。その理由は、彼がこのまま理想を貫き通せることを確信しているからだ。何故なら彼には死が確定しているからだ。理想を貫いて死ぬか、ただ死ぬかという選択肢しかないので、葛藤するまでもないのだ。この点で彼はキリストになる。北斗の拳のトキになる。

 

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 そしてその聖なる魂の伝道者となるのがRUDE BOYS次期リーダーのタケシなのであった。このように、理想を貫くという究極の精神は、未来を考えて葛藤する暇もなく、今に燃えて生き、いつでも死ねる覚悟を持つ者しか得られないことが分かる。

 

 しかし普通の人間、特に若者はそうではない。少なくとも近いうちに突然死ぬなんて想像できないし、だから若者ほど未来を思って葛藤するのである。その最初のハードルが子供から大人になることであり、それが本作のテーマである卒業の意味するところだ。

 

 卒業にあたり、SWORDチームのリーダーそれぞれが「答辞」を述べる。特に達磨一家の日向の答辞にはぜひ注目して聞いてほしい。彼の答辞は、非常にスモーキーと近い態度であることが分かるだろう。何故なら彼が、上記した理想を貫くための鉄則である「今を全力でいき、いつでも死ねる覚悟」をポリシーとしているからだ。よって彼の答辞は正直なとこ異常であり、他のSWORDメンバーの述べる答辞とはかなりベクトルが違っている。

 

 そして物語はコブラの「俺たちは、前に進む」という宣言で幕を閉じる。コブラはまだ上記してきたような究極の精神、黄金の魂を持ってはいない。もしかすると、死ぬ直前まで悩み続けるかもしれない。卒業式を迎えたことで、今以上の葛藤の日々がコブラを襲うだろう。だがそれでもひたすら前に進むのだ。

 

 村山が答辞で述べたように、彼らの理想に燃えたガキらしい青春は、いつか立派な大人になった時の酒のつまみとなって、人生を後押しすることだろう。

 

 ありがとうハイローシリーズ。ここまで夢中になれた映画は久しぶりだった。最高の卒業式だった。

 

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