Kの思索(付録と補遺)

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流動性のない社会における投資家人口の関係~ Kの思索(付録と補遺)vol.51~

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 日本における「転職が当たり前にならず、一つの組織にひらすらしがみついて、一度失敗したら破滅」みたいな文化が未だに根強く残ってるのは、本質的なところでは投資家人口が圧倒的に少ないことに起因しているように思うのだ。


 というのも、組織にしがみつく、というのはある意味では滅私奉公な行いに寄らざるを得ないからだ。そしてチームとしての連帯感や忠誠力が必要だ。これは「集団としての」いわんや「協調性の発露としての」ビジネス成功である。


 しかし出来れば「個人として」「特定の組織にとらわれず」成功したいと思うのがアイデンティティある人間の本質なのだ。今流行りの新自由主義」「価値主義」もここに立脚点がある。そして投資はそのような「個人的」であり「非協調的」なビジネスの成功をもたらす副業的手段になりうる。


 だから投資家ビジネスマンは、金額の大小はあるにせよ「個人として世界から稼ぐ」という視点をもっている。そしてそれが実際に可能になっている。


 この結果、投資はビジネスマンを個人主義的にし、非協調的にする。具体的に容赦なく言えば、お金がある分、オドオドと周りに合わせることなく、周りを出し抜く形のリスクを取りに行くことができる。つまり、「この会社で失敗しても、次の会社に行くからいいや!」という思考が持てるようになる。


 このような人物にとっては、連帯感や忠誠力…すなわち個人のアイデンティティを抑圧した「我慢」でチームを結成するような滅私奉公の組織スタイルは、当然ながら合わなくなってくるだろう。


 だから投資家人口が多い国では、個人主義的思想が力を持つようになる。それゆえに組織が個人を縛り付けるのは難しくなる。結果として転職が当たり前になる。


 日本はその逆で投資家が少ないため、滅私奉公の鎖を切れない。これに加えて「抜け駆け」や「多様性」を認めない文化がダブルパンチを与えている。


 そして恐ろしいのが、日本では小中高と一切の金融教育をしないことだ。これは明らかに政府が都合のいいよう、教育をメディアとして子供達を洗脳している。つまり、自由主義における格差拡大を防ぎ(自由主義では優秀な人がお金を総取りする社会になると言われる)、加えて高度成長期に求められた機械のような動きができる量産型人間を大量に生み出すべく考え出された教育という名の洗脳ということだ。


 ここで一つ提案。誰もが投資家になれとは言わない。しかし貴方がもし従業員持ち株制度のある会社に勤めているなら、是非自社株を持ってみてほしい。自らの働きが自分の資産の流動性になって現れると、いやでも意識が変わってくるはずだ。

 

 その逆に、利権に守られて仕事をし、許認可によってしか仕事を進められず、成果を出しても貰える金額は変動しないと言ったような役所的な会社は、流動性がないため絶対に腐る。それは確かに、「誰かの総取り」は防げるかもしれない。しかし同時に「みんなで一緒に苦しくなりましょう」という意味でもある。本当にそれでいいのだろうか?僕は、「勝てば希望がある」というほうがマシなのではと思うのだ。そして歴史的にみてもそのような共産主義は成功しなかったのである。

 

 ちなみに僕はこれからの社会様式になるであろう新自由主義」や「価値主義」について、「モチベーションの差によって、自己資本力によらず、大勢が少しずつ勝ちやすい社会」であると予想している。このことについてもどこかで考察していくつもりだ。

 

 END.